見出し画像

美しさとは何か?



落ち葉をわざわざ捨てないといけない道


ちょっと前の話です。
年末、道を歩いていたら道の落ち葉を箒で掃いている人がいました。
掃いた落ち葉を集めて袋に入れている様子をみて…なんとなく、違和感を感じました。

これ、わざわざ捨てなきゃいけないのって道がコンクリートだからだよね…

って。

自然の山だったら、落ち葉は土の上で微生物に分解されてわざわざ掃除なんかしなくても循環するよなって。

でも、コンクリートの道って歩きやすいし、平らで美しいですよね。

でも、僕はわざわざ掃除をしなくてはならないのって、なんとなく『美しくなく』、むしろ見た目が悪くても落ち葉が勝手に循環してる方が美しいんじゃないかって感じるんです。



どこを見て美しいって言っているのか?


でも、この考え方はあくまで僕の主観。じゃぁ『美しい』『綺麗』ってなんだろうって思いました。

そもそも、みんなどこを見てるんだろう?

きっと多くの人は分かりやすく『目に見えるところ』なんだと思います。
道の落ち葉を掃いているシーンは見ている人も見ていない人もいる。普段見てるのはただ舗装されたキレイな道だけなんだろうなって…



正しいものは美しい・汚いものは正しくない


そんな時、ふと『ホワイト革命・ホワイト社会』って言葉が浮かびました。

ホワイト革命・ホワイト社会とは岡田斗司夫さん(評論家・エヴァンゲリオンを制作したガイナックス設立され、オタクのキングとして「オタキング」と呼ばれたりされてます)が提言されており、

「見た目が良い(清潔)ものは、正しい」という価値観が広がっていく事

です。Youtubeではタレントの有吉さんが「だれが握ったか分からないおにぎりよりも工場で作られたおにぎりのほうが安心して食べられる」と発言されたことを例に挙げて、特にコロナ以降「不潔なものを入れない」「清く美しく」といった価値観が広がっている事を紹介していました。(興味がある方はhttps://www.youtube.com/watch?v=k_zV08mCfFI

Youtubeの中ではアニメの主人公も昔に比べてイケメンになっているし(銀河鉄道999の鉄郎など)、韓国アイドルをはじめ歌手もみんな見た目がいいことなどを挙げていました。実際、自分の周りを見渡してもきれいな景色、スマホの中も、インスタなどSNSも綺麗なモノで溢れています。

そして、更にはその延長線上に

『汚いものは正しくない』

という価値観があると話されていました。例えば「不倫」は「不潔」と言われたりしますが、ジャニーズ問題や松本人志さんの性的問題も大問題になっているのも、この流れの一部と感じることができます。


汚いものに本質がある…?


一方で真逆の価値観の話があり、個人的にはこれが特に面白かった。

X(Twitter)で汚い言葉で荒らし行為をしているのが無知な若者ではなく、おじさんおばさん世代だったこと。「そんなキレイごと言っててもしょうがない!」「本当はみんなこう思ってるんだろ!」を代弁するおじさんおばさん…
おじさんおばさん世代は『世の中の小綺麗なものは嘘で、汚いものに本質がある』という考え方があるという話題でした。

僕も43歳。おじさんなので、この感覚は分からなくはないです。というか、めちゃ分かります(笑) 
例えば、不倫を歌った歌詞のどうしようもない感情などに本質的なものを感じたりする感覚とか…
(今、頭の中で「小林明子 恋におちて-Fall in Love-」が流れました…)

注:荒らす気持ちは全く分かりません。あ、あと不倫はしたことないです(笑)


結局、一部だけ見てもどこにもたどり着けないのでは…?


じゃぁ、僕は汚いものに本質が宿っていると考えているかというと…全くそんなことは思ってません。
むしろ、やっぱり本質的なものは『美しい』と思っています。
僕は自然が好きですが、自然が織りなすものはどれも美しいと思います。少し理系的な発想をすれば、物質の結晶はとても綺麗な形を作るし、本質的なものを表す数式はとてもシンプルで美しい…(ってよく言われますよね。数学はそんなに得意ではないです…(笑))

一つの仮説として、きっと上の世代の人たちは高度経済成長期の中、汚いものもたくさん見てきたし、その中で綺麗になっていく世界を見て、自分のいる場所と輝いている場所を比べてしまって、「上っ面だけみるな!本質は自分たちのほうにある!」といったような溜まっているモノがあったりするのかなって考えてみたり…(もちろん全く違うかもしれませんが…)


じゃぁ、『綺麗なモノは正しい』と考えるかというと…『綺麗なモノ』の定義によるんじゃないかなって思います。

僕自身はある一部を切り取って『綺麗なモノ』は『正しいもの』って、なかなか感じることができません。
時間の流れ、今は見えてないものや別の場所で起こっている事、それらを含めないと。
とても綺麗にみえるものだけを見て、裏にあるものを『汚い』と捉えてしまっていては本質的なものは見えてこないんだろうなと。よく昔、「アイドルはトイレにいかない」なんて言葉を聞いたりしましたが、それって既に人じゃないし(笑)

トイレに行くことを『汚い』と捉えるのか、『循環』と捉えるのか。
町のごみを処理を仕事にしている人たちは汚いのか?循環してくれているのか?

すべてを含めて、本質でとても『美しいもの』なんだろうと思います。

冒頭の落ち葉の話も。自然の中で循環していないのは、ある意味『美しくない』かもしれませんが、コンクリートの上を掃除してくれている人まで含めての循環はとても『美しいもの』だと思います。


本当に情報だらけで何が全体か、何が本質かも分かりにくくなっている世界で。いつも何が本質なのかなぁて頭でっかちに考えながら、去年からネイルを始めたり、今年は髪染めてみたり、改めて見た目って大切だな(というか楽しいな)と考える43歳です(笑)


最後までお付き合いいただきありがとうございました!
よかったら「いいね」・「フォロー」よろしくお願いします!


オチも何にもないけど、落ち葉掃除してるの見た時から話したかった話題。やっと話せた!(笑)










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?