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なんでもないけど

絶対的に自分の理解者だ、
と親に対して迷いなく思える人は
ものすごく恵まれていると思う。 

年々、心が離れていっている気がして、
両親のことを思うと惨めな気持ちになる。
うまく言えないんだけど。

それでも、最近ふと思い出したことがある。
社会人1年目の働きすぎていた頃、
母親が不意に東京に来てくれて、
大量に作り置きをして帰っていった。

私の家の調味料を使ったはずなのに、
目の前の肉じゃがは母親の肉じゃがの味で、
わたしはそれをボロボロ泣きながら
仕事終わりの深夜にひとりで食べた。

東京で生きていることが
結構しんどかった時だったから、
本当に嬉しかったし心強かった。

そんな記憶。

また時間が経てば
大切に思えるのかな。


ずっと私の中にあったけど口に出すわけにもいかなかったことを、さらっと恋人の同居人が口にしていて、あ、別にその気持ちを持ってても良いんだ、って思えてすごく救われた。

自分のことでは無いのにネガティブな気持ちになった時に、こんな風に思ってたら、目の前のこの人に失礼だ、ってその気持ちを持つ自分を責めてしまうけど、別に良いんだ。悔しいなら悔しいままで。いまの全てを肯定したままに、何かに怒りを持っていたって別にいいんだ。


また、核心から逃げてしまったなと思う。
バカみたいな返答をして逃げてしまうの良くない。自分はこういう人間だからとキャラ設定をして、半分ほんとで半分違う答えを自分の全てみたいに話してしまって反省している。大事なことは偽りなく、素直に出すべきなのにね、やっぱりまだまだ素直じゃないね。


一緒にいると心が潤う感覚がちゃんとある。
疲れたときこそ会いたいと思える人は他にいない。

1年前

もう5年くらい前の、24歳の自分の感覚を思い出しては、二度とあんな恋愛は出来ないだろうと、正気を失ってたと笑い話にしたりするけど、最近あの自分の影がひょっこり顔を出す瞬間があって、あ、まだいたんだね君。ってなったりする。相変わらず愛は重いタイプなんだなと思う。

好きな人を好きでいていいことほど幸せなことはないし、それだけで十分だと改めて思い直すことで、目の前の存在に改めて感謝出来るし、わたしは満ち足りていると思うことができる。もうすぐ1年経つけれど、ぼんやり過ぎた月日ではないし、早かったとも思わない。本当に大事に大事に日々大切に思って過ごしてきたからここまでこれたって思ってる。相手を受け入れたり与えたり、今までの自分の駄目だったところを反省しながら過ごしてきた結晶のような1年。努力とも違うけどほんとうに大切にあたためてきたからある今。

これからも出来るだけ長く、変わらずにいられたらいい。一緒にいられることに感謝して、楽しい時間を過ごせたらいい。自分の嫌なところをこの人のおかげで少しづつ変えることが出来たって思うから、さらに素直になれるといいね。


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