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記憶の中の景色

わたしは生まれて6ヶ月と11ヶ月で逆さまつげ、5歳で斜視弱視と来て、そこから中学を卒業するまで毎年、夏休みはラジオ体操の如く眼科通いをしていました。加えて眼鏡は小学校2年生からかけていたし、あの頃1万円で買えるものなどなかったから、それこそ眼科通いだけで高級車が買えるほどのお金を、両親は捻出していたと思います

こちら、かねきょさんの記事にて、懐かしい思い出がよみがえり ↓ ↓ ↓

コメント欄見ててね、いろいろ記憶がよみがえってきたの
「気球が見える」だとか「突風」だとか、本当に懐かしいワードがたくさんあって「そうそう」って、何度もコメント書きそうになったから、こうして記事をお借りすることにしました

顎をのせるところには、油取り紙のような薄くて白い紙が何層にも重ねられていて、検査が終わると一枚剥がす。衛生上の問題なのでしょうが、子どもにはそういったものはおもちゃになりかねません。使用していないときに、ちょっと触って、何枚か紙を引きちぎって怒られたこともありました
あの紙がなくなったら、そのあとは「どうなるんだろう」って、小さくなる鉛筆を見るような気持ちで見守っておりましたが、とうとうまったくない状態を見ることはなかった ⇐ 変なところに達成感を求めていたな(;^ω^)

その他、眼科の機器はたいてい暗室のように黒いカーテンで仕切られた中に在ったりしましたね。暗幕で仕切られた暗い空間で、看護師とふたりきり、目の部分にだけ煌々と灯りスポットがあてられ、周りに貼られている眼球のポスターなんかが浮き出ていると、眼球が惑星のように見えて、まるで宇宙博物館みたいで、なんだか楽しかったことを思い出しました

そしてもうひとつ! わたしは眼科に行くのを楽しみにしていたことがありました(#^^#)

みなさん、目を洗ってもらったことってありますか?
もう本当に遠い記憶だけれど、わたしは幼少の頃、たまに診察室の奥のベッドに寝かされて、よく目を洗ってもらっていた。手術のあとだったからかもしれないけれど、あれがわたしは気持ちよかったから、洗わない日は「なぁんだ」って、がっかりしたものでした

ベッドに仰向けになり、頭の上のところに看護師さんがいて、目の脇に受け皿をおいて、あたたかい液体を直接目にかけながら、ラテックスの手袋の指で目のたまを優しく洗うんです。それはまるで、床屋さんで顔を剃ったあとにかけてくれる蒸しタオルのような心地よさでした

しばらくたって大人になってからも、その眼科に行っていたけれど、目は洗わなくなったみたい。なにか問題でもあったのか、医療の進化なのか、なんとなく残念だった

子どもだったから、わたしはよく鼻歌を歌っていて、最後に診察してくれる院長先生とよく歌についての話をしたことを覚えています。あの頃のお気に入りは「満点パパ」のエンディングテーマで笑 (*´з`){まっる~をあげるっよ~♪・・・・って歌うと「先生にばってんか? まるはいくつくれる?」な~んて言われたっけ。懐かしいなぁ
子どもにとっては眼科も幼稚園も同じように楽しめる場所だったなぁ

待合室の壁には、片手で持って目に当てる機械が、コードのついた受話器のようにいくつもぶら下がっていて、大人のひとが目に当てているのを見て羨ましかったことも思い出した。わたしがそれを使うことはなかったけれど、あれは赤外線かなんかで、当てていると視力があがる(?)ものだったと、最近の通販番組を見ていて謎が解明された
「昔から眼科にはありましたよ」と、専門家が視力アップのための医療機器を紹介していた。昔から? 眼科には? あった…と聞いて、壁にぶら下がっていたあれか~!?っとなったのですが、ちがうのかな?

最近はメガネ屋さんで視力検査が出来たり、コンタクトもそんなに眼科に通わなくても作れるようになったり、通院というカテゴリーから眼科は遠ざかる傾向にある
わたしも成長して大人になって、成長と共にすすむと言われていた視力の低下も落ち着いた

結婚式の時にドレスに眼鏡という絵面がイヤで、式の3か月前くらいにコンタクトを作ったのが眼科に行った最後だったかもしれない
わたしは左目が極端に弱く、コンタクトを入れてもさして影響がないし、なくなっても落としても気づかないので「ムダだな」と思い、慣れてからは右目だけを購入し、片目だけコンタクトを入れていた
でも、それに慣れてきたある日、鏡を見たときに左頬が下がっているのに気づいた。眼鏡を使っていた頃は左目には度の強い厚みのあるレンズがあったから、見えなくても影響がないとはいえ、多少なりとも使っていたんだな~と思う。それが、右目だけのコンタクトになると、いよいよ左目がおろそかになり、どうもその周りの筋力が落ちてきたようなのだ!?
これでは「顔が歪んでしまう」と思い、改めて左目にコンタクトを入れようとも思ったのだが、その頃にはもう面倒くさくなっていたから眼鏡に戻したのでした

時代も変われば「眼鏡」も珍しいものではなくなる
子どもの頃は周りに「眼鏡等」が少なく、物珍しく見られたし、友だちに至っては「貸して」なんて言われ、歪むことも頻繁だったけれど、コンタクトが当たり前になって、眼科に行かなくても眼鏡が作れるような時代になってくると、お洒落なフレームやカラフルなフレーム、軽量タイプなど、たくさん種類も増えてきた。専門店なんかでは、金額も自転車を買うような高額ではなく、服を着替えるようにいくつも眼鏡を持てる気軽さがあって、眞金も煩わしいだけではなく、おしゃれなものになった。若い頃はわたしも2、3個、形の違うものを持っていたかもしれない。そうして、ここ数年は、同じ形に落ち着いた

時代の流れってすごいですね。子ども時代から大人になる数十年で、こんなにも価値観が変わる。でも、眼科のあの顎をのせる機器だけはずっと変わらずにある。なんだか不思議だなぁ

そろそろまた、新しい眼鏡でも新調しようかな…と思う一コマでした




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