図工は死ね

小学生の頃、図画工作の時間はいつも居残りだった。

絵を描くときも、物を作るときも、周りのみんなが何を作り出すのか聞き回って、様子を見て、それで2,3時間分の授業を費やしてから初めて僕は手を動かす。

だから完成するのも人より遅くて居残りの常習犯だった。
担任の先生はよく付き合ってくれたな、僕だけだからほとんど明かりもつけてない暗い図工室の光景をまだよく覚えてる。
分厚い机、彫刻に何度も耐えた傷跡、絵の具と水の混ざった匂い、好きな人が道具を洗いに行くタイミングに合わせて自分も席を立っていたことを思い出すと今でもドキドキする。

中高でも、美術や技術の時間はとにかく遅かった。
それだけ自分が完璧主義だったということだが、自分は画力に自信があった。

といっても、天才的なものではなく、ただ昔ポケモンやマンガの絵を鉛筆でトレースだかなんだかわからんが、模写するのにハマっていただけだ。
今でも実家のどこかに置いてある。

自分が何を描くのか何を作るかに、人から批判されるのがとても怖かった。
僕が「これを作りたい!」と言った時に周りの人に「それダサ」とか「何それきも」とか「ははは」の愛想笑いをされるのがとても嫌だった。

正直僕は小さい頃から変わっていたと思うし、中高なんてアニメばかり見ていたからヲタク陰キャだったのは間違いない。

ただ、白紙を渡されてお好きにどうぞと言われるのも無理だったし、じゃあ周りは何してるのかな、みんなは何を描くのかな、とかそんなんばかり考えていつもキョロキョロしてた。

自由にどうぞと言われ、本当に自由にしたところで、賛同するやつ、批判するやつ、そもそも興味ないやつ、それらはグラデーションでみんな違う。
他人になんと言われようが、という気持ちの裏側では批判されることにとにかく臆病な自分がいる。

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