休日は死ね

本当はやりたいことがごまんとあった。

仕事で疲れた体を休めるだけの休日を過ごす社会人を見ながら蔑んでいた僕は、気づけば同じような休日を過ごしていた。
前言撤回するつもりはないし、むしろそれは自虐になって僕の首を絞める。
これが大人に慣れるということなのだろうか。やっぱりつまんないな、大人ってやつは。

もしかすると僕は強欲なのかもしれない。
やりたいことがありすぎるから、それを全てやれず、いや、ごく一部しかできず、フラストレーションが溜まっていくのかもしれない。

振り込む家賃は42,000円なのな、よくわからない手数料込みの42,300円のか聞きたかったし、
最近切れ味の悪くなってきた電動髭剃りの手入れをしたかったし、
手入れといえば最近使わなくて錆び付いてしまったZippoの手入れもしたいし、
そうだ、洗面所の水垢も綺麗に拭きたい。
部屋は洗濯物が散乱してるから、衣替えのこの季節、整理したいし、
洗った洗濯物もまだ半分しか干せてない。もう半分は洗濯機の中に置いたままだ。
そうだ、洗濯バサミも買わないとな。
シャンプーも切れてたし、いい加減新しいのを買わないと。
そういや、バイト先の石けん切れてたな、報告しとかないと。
来月のシフトの話も相談したいことがあるし、、、、


だから今日はもうお風呂に入って寝よう、って。
鏡を見たら案外鍛えられた自分の姿があった。胸筋がかっこいい。最近脂肪がついて腹筋が見えなくなってきたし、食生活見直さないと。

ホント、筋肉だけは裏切らないよな。
あんだけ悩んでたのに、あんなに上手く行ってたのに、希望に満ちていたのに、落ち込んでたのに、
いろんな感情の渦に巻き込まれて諦めた顔をしてたのに、
今日も筋トレに行けなかったし、
それでも筋肉は変わることなく、力を入れれば固くなるし、素敵な体。惚れ惚れしちゃう。

365日休日というのを体験した後、今は週に2日休めるかどうかの生活をしている。
昔は「決まった生活リズムがあればこそ休日の価値は生まれるからこんなに休日はいらない」と思っていたのに、
いざ忙しくなると「もっと休みたい」と思うのは、もうワガママがすぎるというか、これもまた強欲なところだなあって。

自分にとって休日がどんな存在であるかはまだわからないし、結局休日がどんな存在になるかはどう過ごすかに依存する。平日もどう過ごしてるかに依る。
ただ、今の気持ちとしては、そんな形を変えて僕を悩ませる「休日」という存在は嫌いだし、何も叶えさせてくれない「休日」は死んで欲しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?