彼女のことを忘れたいけど、忘れられない

彼女のことをもう思い出さないように、頑張って前を向いて生きようとしていても、ふとしたときに写真に写った彼女が目の前に現れることがある。その時には、人生で感じたことのない酷い孤独感と孤立感に苛まれる。彼女からもらった幾つかのものは棄てた。自分自身を苦しめないために。でも、すべて棄てた訳じゃない。クリスマスに2人で一緒に選んだショルダーバッグは棄てるにも棄てられなかった。本当は棄てたかった。でも、棄てるには勿体なさすぎた。アヒルのキーホルダーも。

"復縁は絶対にしない"

と、私が強く念を押されたときの彼女の冷淡さは、今思い出してもこの上ない恐怖であり、私自身がどれほどの恨みを買ってしまったのかと怯えるものであるのにも関わらず、棄てることができない。彼女はもう前を向いて強く生きているに違いないが、その一方で、未だに彼女のことを嫌いになれず、脳裏に浮かんでは消えることのない存在に苦しめられている私。一体どちらの方が子どもなのだろうか。また、彼女から送られてきた言葉で、怯えるほど嫌いな言葉がある。それは、

"幸せになってね"

という言葉である。勿論、彼女に悪意がある訳ではないため、決して皮肉混じりで挙げているのではないことだけは、理解してもらいたいが、この言葉は本当に嫌いである。なぜなら、彼女といるときの私は幸せであったからである。さも彼女といるときの私は幸せではなかったかのように叙述されるのがどうも腑に落ちないのだ。実際、私自身はこれまでに無いほどの幸せを感じていた。それゆえ、今現在の私の心はぽっかりと穴が開き、失恋うつになってしまい、幸せな人を見ると苦しくなってしまっている。また、幸せが何か分からなくなっているのだ。こんなに苦しむのなら、恋愛なんてすべきではなかったのではないか、それ以前に知り合うべきではなかったのではないか、そう感じてしまう日々を送っている。彼女のことは嫌いになれるものなら嫌いになりたい、また視界に入れることなく生活できるのなら、そうして生活したい。しかし、関わらざるを得ない状況であるがゆえに、そのようなことはできず、また、未だに沼の底にたどり着くことができず、上がってくることが出来ていないため、どうしても彼女のことを考え、想ってしまうのだ。自分自身のために、彼女との連絡は途絶えさせているが、好きな気持ちが消えないから、それもそれで苦しい判断で、何が正解であるのか全く分からないのだ。彼女が大人になったときにまた付き合ってもらえることはあるのだろうかなんて戯言を思い、夢にでも、妄想にでも現れるが、現実としては、きっとない。いや、間違いなく無い。彼女がこれを読むかどうかは知らない。でも彼女の気持ちが変わることは間違いなく無い。それゆえ、私がどう足掻いても結果は変わらない。さようならと言わざるを得ない。だが、3週間が経つ今も、私の記憶の中のあなたが私に寄り添ってくるのだ。本当なら、あなたの記憶の中の私が、あなたに寄り添いたいくらいなのに。振り向いてはくれないだろうし、自分でも感情がよく分からないけれど、きっとまだ私は、あなたのことが大好きなんだよ。

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