なぜ、私が文章を書くのか

 ふと感じました。「どうして、私はnoteを始めて、どうして文章を書くようになったのか。」と。
 私なりの答え(本当の答えは私にも分かりませんが、)は、2つあります。
 1つ目は、「生活に満足していないから。」です。
言い方を変えるのならば、「"幸せ"が何か分からないから。」です。
 幸せって何なのですかね。難しいですよね。家族と一緒にいること、友人とお話すること、恋人といることとかですかね、抽象的な概念なので、人によって解釈は勿論異なりますし、人によって感じ方は異なると思います。次のように言うと未練に満ちた人のように見えてしまいますが、そういう訳では一切ありません。私的には、「"幸せ"とは、失ってから気付くものであり、ふと振り返ったときに込み上げてくるかもしれない感情」だと思います。これが答えという訳ではありませんが、今の私の解釈です。時間が経てば、解釈や感じ方は変わっていくと思います。幸せを見つけることは、人生において永遠の課題だと思います。今、この一瞬を幸せだと感じ、本当の幸せとは何か分かるものなら、文章に縋ることはないと思います。
 また、生活に満足していないという点で言えば、自分自身の見た目や性格などの欠点の埋め合わせが、私にとっての文章を作る意味なのかも知れません。加えて、私は自分に対する自己肯定感が甚だ低く、少しでも自分に自信を持てる機会が欲しかったのかも知れません。(人に評価してもらいたい訳でもなく、単なる自己陶酔の1つのようなものです。)
 2つ目は「自分でも気付くことのできなかった自分に気付くことができるから」です。
 無神経に言葉を殴るように綴っていくと、次第に混沌とした1つのものが出来上がっていきます。それが、自分自身の本心なのかと思います。勿論、確りと考えながら文章を作ることも多々あります。しかし、実際に言葉に表していく作業を通して、今の自分は何が苦しくて、何が辛いのか、何が嬉しくて、何が悲しいのかという自分自身の抱える感情の根本と向き合うことができます。また、感情だけでなく、自分自身が現在有する語彙がどの程度なのか、自分の知能(というと仰々しくてたまりませんが)を知ることができます。それゆえ、私は文章を作っているのかと思います。
 決して、私は国語が好きな訳でも得意な訳でもありませんし(とても人並みとも言えません)、文章を読むのが好きな訳でも得意な訳ありません。でも、自分自身と同じような感情を抱いている人がいるかどうかなんて分かりませんが、少しでも共感を感じて頂きたい、そのような人の支えになりたい、また自分自身の感情を理解してもらいたいという、3つ目の理由が、もしかするとあるのかもしれません。

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