ひたむきな星屑(と閉塞感のお話)

戯曲に関する断片的なメモ。
ポストドラマ演劇というジャンルを身をもって知りたくて読んでみた。

赤いテールランプの描写がすごく良かった。不安、ざわめき、懐かしさとかが叫びをあげそうな感覚があった。これ以外にも実際に舞台ではどう表現するのか気になるところが多くあり、生で観てみたい気持ちになった。
ひょんな矛盾から大火事に発展する展開が面白かった。よくある構成ではあるかもしれないが、湘南ラーメンへのクレームからとは思わなんだ。舞台表現とのマッチも良かった。

読んでみて矢張り閉塞感か、と思った。
この時代の戯曲は閉塞感というテーマから抜けられないのか。
きっと今も尚そのリプロデュースは続いてる筈。
でも何も演劇だけの話にとどまらず、映画でも同じような事が起きている。突如昔の同級生と出会いセックスしたりしなかったりする。
いよいよこのフィクションが、この閉塞感に満ちた陰鬱な日常の一部になってきてしまっている気がしてならない。突然、好きだった同級生と出会ってセックスに発展する筈がない。でもそれを願ったり、望んだりする。映画を観たり、芝居を観ながら。そんな休日を過ごして再び社会に戻っていく。また休日が来る。映画を観てテキトーに泣いてみる。みたいな。こういうジャンルの作品を一蹴しながらどこかでそれを望んでいて、邪気に出来ない気持ちになってしまう。

話は戯曲に戻るが、
叔母と姪という設定も気持ち悪かった。それは田舎町という場面と組み合わさった結果でもあるが。

迷惑メールは面白いなと思った。最近はあまりに迷惑メールが多過ぎて、最早逆に本人なんじゃないかという疑念する生まれてくる。そんな穴を上手く突いていると思う。

とりあえずここまで。またポストドラマ演劇と銘打った戯曲を読んでみたい。

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