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grace trip

人生の最後に見ると言われている走馬灯
人は最後の瞬間に人生の振り返りをするわけだ

人生はスポットで見れば悲劇、ハイライトで見れば喜劇と云ったのは
かの喜劇王チャップリンだ
すべての人は最終的に喜劇で幕を閉じるらしい
ただ、人生の多くを構成するのは
走馬灯で省略されるシーン達なわけで
そう思うと何をもって人生を人生と呼ぶのか

最後にもう一度見ることができない日常を
ディレクターズ・カット版として
見つめることはできないものか
フォーカスを当てるのは足元でいい
忘れていたあの日の風景が見たいんだ



何事も「はじめ」が肝心だ
具体的に言えば出だしの半歩のところ
現代社会は可処分時間の奪い合いで日々忙しい
それが必要か否かはコンマ0.5秒で取捨選択されていく
ボクたちの作る有象無象のコンテンツは
「こんまり」こと近藤麻理恵も真っ青の断捨離が日々行われている
ところてん式に流行を流し込んでいかなければ
深刻な情報渋滞を起こしてしまう

最初の数行、数秒ですべてが決まってしまうし
サムネイル次第ではクリックすらされない
つまり誰にも見つけてもらえないということだ

相対的な評価経済の中で
承認欲求を互いに満たしあうパートナーになれるかどうかは
出会い頭で電撃が走らなければならない
松田聖子に10まんボルトを放って
「ビビビ婚」をした歯科医は正しかった
先手必勝こうかはばつぐんだ

そういった意味でこの文章は既に大きな失敗をしている
冒頭からまったく人の気を惹く文章ではない

他人の人生のハイライトなんて
多くの人にはどうでもいい話で
目を惹いて読みたくなるものというのは
無性にやる気が出る話だったり
メタバースみたいな未来感だったり
神様とか前世のスピだったり
巨大権力への抵抗だったりする

トレンドにまったく乗れていない
いや、どうも乗る気がないボクは
ボクが読みたいものを書くことしかできないし
ボク以外読む者がいなくても
それはそれでしょうがないと思っている
世界の人口は80億なのでもしかしたら1人くらい
読む人がいるかもしれない
否、こういうのはちゃんとしておこう
日本語で書かれているので母数は日本語圏の1億3,000万
さらに日本の人口は減少していて
どんどんシュリンクする一方なので
確率的にお先真っ暗というしかない
やっぱり人の目に触れようなんて高望みなんだ



唐突に言うと音楽はすごいなと思う
なにがすごいかというと
曲を聴いた瞬間、一瞬で過去の記憶に戻されることがある
当時よく聞いていた曲というのなら、なんとなく理屈は分かる
ただ聴いていた曲ではないのに飛ばされることがある
さらに聴く時間と場所によって毎回戻る時代も変わっていく

具体的に言えば今
藤井風の「grace」を聴いてボクは15年前のあの日に戻っている
「grace」のリリースは2022年10月10日
当然当時に存在しない楽曲だし、歌詞にはまったく関係がない
メロディだけで過去に戻された
ボクは2007年5月の国道36号線に立っている



ママチャリのカゴにビジネスバックを入れて国道沿いを走る
転職でこの街にきて半年が経とうとしていた
地下鉄ではなく自転車通勤をするのは街に慣れた感があって好きだ
なにより交通費の節約になる
歩道の脇には部分的にまだ少し雪が残っている
冬の間に凍結防止でばら撒かれた砂が一斉に顔を出すのもこの時期だ
まだ少し冷たい空気が顔に当たる
でも今日は気分がいい

久しぶりの定時上がりだ

入社した頃にあった新人イジメもなくなったし
頭のおかしなクレーム客の対応にも慣れた
店長が変わってから連帯残業もなくなってきた
少しずつだけどスゴロクのマス目が3つくらい進んだ感がヤバい
先日職場の近くに引っ越しをした
徒歩3分圏内にコンビニとファミレスと古本屋がある
新居から見える風景が好きだった
色々一新してスタートした気分
路面に残っている雪が溶けだしていく様子を見ながら
何かが変わっていく気がしていた
あの時のワクワク感は忘れられない


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