新しいが始まるのなら、古いを振り切って私は踏み出さなければならない。そうすべきじゃなくて、そうしたいと思えたなら尚良い。

ぼんやりとはじまり、ぼんやりと佇んだ。
べっとりと体にまとわりつく不安は、拭って拭っても綺麗に落ちない。
こすった肌が赤くなって、薄くなって、少しずつ血が滲んで、ついに破けてしまっても、「取れない、取れない」と伏せた目は呟く。
光を見ないように俯く。今の私には光なんて眩しすぎて、きっと焼け焦げて苦しくて我慢できないから。

全てが、思い込みで。
本当は、私は、光に向かって歩き出せる。
甘えてるなんて思わないでと言われても、私は甘えている自分を知ってる。
そして甘えていることを、怠惰でいることを認めて「何が悪い」と開き直ってやりたい。
私は私を甘やかすのが好きなくせに、苦手だ。
十分すぎるほど自分に甘いくせに、甘やかす自分を必死に非難する。
そうすれば許される気がして。
罪悪感さえ抱いていれば、怠惰な自分を自分で罰しているんです、許してくださいと言える気がして。
そんなのはもうやめたい。
私が私を大事にして何が悪いんだって、そう思えたらどれほど生きるのが楽になるんだろうか。

去年に置いていくべきものの整理がつかないまま今ここにいる。
でもまぁ、違う自分になろう、自分が好きな自分になろう、そのために不要なものって何だろうねって、いつもそれを考えていられたなら。
それは去年に向かって放り投げてしまえばいいか。
いらないって気づけることがきっと大切だから。

今年癖にしたいのは「書く」習慣。
自己理解に向き合うのは絶対大事だけど、それを何のためにやっているのかという根本的な部分を忘れちゃいけない。
他者と上手に向き合うために、または向き合わなくても済むように、自己を理解したいんでしょ。
自己分析自己分析自己分析で、自分の中の沈んでいけば他人のことなんて見えなくなる。
他者がまた脅威となる。
大事なのは境界線。
あなたと私の、境界線。
私が手を入れるべきではないことを示す線の見方。
真っ暗闇に手を差し伸べたって、そこに何があるかわからないんだから。
けがをするかもしれない、手首から先を失うかもしれない。
自分の手は、いつだって自分の見えるところに。
自分のわかるところに。

きっとそれが今年やりたいこと。
多分ね。


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