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特集「沖縄復帰50年」軍用地投資の光と影

本日、読売新聞朝刊において、軍用地投資の専門家として、取材記事が掲載されています。よろしければ、ご覧ください。

軍用地投資入門が世に出たことで、県外の投資家が増え、返還地の跡地利用の合意形成が難しくなってきたとあります。ごめんなさい🙇

不動産売買は、自由な経済活動なので、軍用地だからやってはいけないのではなく、誰にでも売却することは可能です。

しかし、軍用地の成り立ちの経緯を鑑みると、「銃剣とブルトーザー」のように、米軍が個人の私有地を強制的に接収し、非常に安価な単価で借り上げていた経緯があります。

所有権は地主にあるものの、実質的な所有権は、米軍にあったといっても過言ではありませんでした。

言わば、迷惑料ともいえる軍用地料が、復帰後、投資物件として、広く取引されているとは、時代の流れという一言では、片付けることは難しいと思います。

私も、今回取材を受けるにあたり、「土地連のあゆみ 創立三十年史」をひも解いてみました。すると、軍用地の取引は、復帰後間もなく、活発に行われていたそうです。

1973年6月14日の琉球新報の記事によると、本土企業や土地ブローカーが返還後の開発をあて込んで、那覇市を集中的に買い占めていることが問題になり、市の利用計画の「ガン」になっているとの内容でした。

市当局は、公益優先と地主が今後過大な犠牲を払わないように考えつくされた軍用地の跡地利用計画が、本土企業に食い物にされたら、せっかくの跡地利用計画が絵にかいた餅となってしまう。そうなったら、まずいと買い占め阻止のための具体策を検討していたそうです。

現在、那覇市の一等地にあるハーバービューホテルは、復帰前は、ハーバービュークラブと言われた米軍基地です。

米軍将校クラブ、琉球列島米国民政府の職員などの在沖アメリカ人による会員制社交クラブ(米国市民会員制社交クラブ) として使われた豪華な施設で、沖縄鹿鳴館ともよばれました。

一番上の画像は、1961年12月15日、ハーバービュークラブで行われた米国民政府創立11周年記念祝賀で、アンドリック民政官や大勢の民政府職員が見守る中、キャラウェイ高等弁務官がケーキにナイフをいれる資料です。

キャラウェイ高等弁務官の「沖縄の自治は神話にすぎない」発言は、ハーバービュークラブの席上で行われたことは、あまりにも有名です。県民を愚弄した発言でした。

貧しい沖縄県民にとって、ハーバービュークラブに立ち入ることは、夢の世界で、憧れのまなざしで見ていたと父が話していたのを覚えています。それぐらい米軍統治下の象徴ともいえるハーバービュークラブ。

市民の粘り強い返還要求で返還されたハーバービュークラブが企業の手に渡り、一般市民に活用されないことに強い不満が出たそうです。

ハーバービュークラブの二の舞とならないように、市当局は、跡地利用計画を市民に周知徹底させ、関係地主にも協力を呼び掛けたました。

那覇市は、戦後27年間も軍事優先政策が続き、社会基盤施設である道路、公園、下水道を始め生活環境基盤の整備が大きく遅れていました。

那覇市内の広大な軍用地は、都市計画のガンとなっていました。跡地利用計画において、公共施設を優先にすることは、当時の優先課題であったにも関わらず、市の脆弱な財政状況では、本土企業の買い占めを防止するには、お金が全く足りなったそうです。

跡地利用計画に要する膨大な財源は、国が特別措置を講じるべきとの意見があったそうです。

現在は、法も整備されており、そのような憂いはなくなりつつありますが、地主が無限に増え、跡地利用の合意形成が非常に難しくなってきました。

利益を求めることは自由ですが、軍用地投資入門の読者には、今一度、原点に立ち返り、沖縄の復興を最優先に考えて欲しいと私は考えています。

それが、軍用地主にとって、最大の利益につながるからです。

最後までご覧いただきありがとうございます。
出会いに感謝です‼

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