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わたしのネガティブの根源はどこから?


わたしは、豆腐メンタル主婦なんて名前で
よくプロフィールを書く。


メンタルが豆腐みたいにやわやわで
よくめげる。くじける。にげる。
要は、弱虫毛虫な、わけです。

それでも、ここまで生きてこれたのはまじで奇跡ではないかと。


淡々と、文章を並べているけれど、
現実のわたしは結構喋るし
多分、何も知らない人が見たら
能天気な明るいアラサー女子なんだろうと思う。(多分)

でも、わりと根暗。ネガティブの化身みたいな人間です。



わたしのこの人格が形成されたのは
母親の影響が大きいかな。

わたしの母は、
今で言う『毒親』という部類の
親だったのだと思う。
レベルは低いけど。

常に比べられ、
否定される。

結果、自己肯定感ゼロ。

そうは、思いたくないけれど、
それは、いつしか自分にも
脈々受け継がれ

気づけばわたしも
比べ、否定していたりするから
たまに恐怖。


そういう母も、
聞けばそういう育てられ方をされてきた

らしいという話を
この年になって話したりする。

てことは、
母の母もきっと、
そういう風に育てられてきたのだろう。


わたしは、結婚して
子どもがほしいと思っている。


けれど、
これを受け継いでしまうと思うと、
ほんの少しだけこわい。

そんな中でも、
子どもを産み育てることに前向きなのは、
明確に母と自分が置かれている環境が
明らかに違うと言えるからだと思う。


わたしが中学生のときに両親は離婚して
父親の記憶というのは、もはやないに近い。

顔も、声も
どんなのだったか。
もはや、覚えていない。

だから、それよりも前の
父親の記憶などあるはずもなく

だから、母親に対して、
どんな言葉をかけていたとか
どんな風に気遣っていたとか
全然わからないけれど、


たぶん、

大した気遣いができる人では
なかったんだろうなと思う。

子どもながらに、
それは、なんとなく認識していた(ような気がする)


母は、
とてもかまって欲しい人だけど、
それを態度や言葉にするのが
きっと苦手なんだと思う。

(そういう所も自分とそっくりだと思う)  

それが、結果的に子どもに
降りかかるのが我が家だったのだ。



父は母のSOSを
それを受け止められる人ではなかった。

母も自分のSOSを伝えることができなかった。

もはや、この時点でこの二人の関係性は
破綻している。


破綻した状況下で育てられる子どもなんて、
どうなるかなんて、
結構簡単に想像つく。

ようは、毒親予備軍の出来上がりなわけだ。


でもこれは、
一緒にいるパートナーによって
どうにでもなるんじゃないかなとか
勝手なことを思っていて


わたしは、そのへん、
自分の旦那を信頼している。


実際はどうなるかなんてわかる訳はないが、
自分が間違えた方向に向かったとき、
間違いなく彼は、
私を止めるだろう。

その安心感だと思う。


だから
私たちの子どもは、
きっとわたしのようにはならないだろうと
謎の自信をもっている。


つらつらと、
語ってきたけど、
なんだか最後は、惚気になってしまったので
ちょっと笑ってしまう。


つらつらと書いてきたけれど、
だんだん何を話したいのか
分からなくなってきたので、
そろそろ終わろうと思う。


こんな感じで、
これからも豆腐メンタル主婦と
名乗っていきます。


では、
また。

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