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ゲーセン慕情07 「幼児と腐ったみかん」

私がたどたどしい足取りでゲームセンターに通っていた時期には世間で「腐ったみかん」と呼ばれていそうな雰囲気のお兄さんお姉さん方が恐らくたくさんいました。

私が小さすぎた事も一因かも知れませんが、テーブル筐体の反対側に齧り付いて真剣に画面を見つめる幼児がいても笑いながら許して貰った記憶です。

まぁ未就学児童をカツアゲの時点で人としてかなりヤバいと思いますけど(笑)

第三回でも書きましたが私が出合ったみかんの方々は別に腐ってなどおらず、ただただ目の前の幼児と同様にブラウン管の中で明滅する光に一喜一憂するだけの単なるゲーム好きでした。

勿論幼児の知らないところで後ろ暗い話があったのかも知れないし、無かったのかも知れません。

寧ろひどい目にあったから防衛本能が働いて記憶を・・・と考えつつも同時期に別の事でひどい目にあってギャン泣きさせられた件はしっかり覚えてトラウマ(TдT)になっているのでやはり夢の箱であるゲームセンターでそういう悲劇は起こらなかったのだと思います。幸運に感謝です。

ゲームセンターは不良の溜り場と言われた時期もあり、実際に無法地帯なお店も一部存在したとは耳にします。そのイメージは私自身酷い目にあってはおらずとも昔の方が治安が悪いだろうな・・・と漠然と考えている位です。

でも本当にそうだろうかと思考実験を始めてしまう訳で・・・そのきっかけは対戦ゲームの存在です。

対戦ゲームはゲームに対する取り組み方の姿勢がこれ迄のものと大きく違うのですよね。それ程闘争心を持っていなかった人までその心を奮い立たせるというか。
(念の為、否定的な意味ではないですよ)

私が場違いな姿でお店の中をうろちょろしていた当時にこの対戦ゲームが現在の様な一大勢力だったとすればあのみかんのお兄さんお姉さんはどう変わったのだろうか?とついつい妄想してしまう訳です。

まぁゲームを抜きにした溜り場的な価値や狩り場(;´Д`)としての視点も入れると私の知見では更に妄想するしか無いのでこの辺りにしたいと思います。1970〜80年代のゲームセンターは私が大きくなってから再び通い、実際に働いた90〜00年代とは大きく違う異世界な雰囲気なのでいろんな話を見聞きしたいですね。(反社的な話もあくまで歴史の一部として冷静に妄想したい)


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<ゲーセン慕情>
幼少期から積み重ねたゲームセンターに向けての想いを語っていきます。


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