クソ記事。【芸術的クソについての記事】
※とても汚いです。
どーも。ぐらです。おじさんです。
色んな記事で「自分は自尊心が低い」と話しています。
実際、今の自分は様々な点で至らないと思っていて、あんまり自信がありません。
が、自分がひり出すうんちだけには自信がある。
それは数々の快便自慢ツイートからも感じられると思う。
そう、親バカかもしれないけれど、自分のうんちに「美」を感じている。
本当に、本当にお見せ出来ないのが残念なのだけれど、私のうんちは芸術足りえる。
まず長さがいい。3~40cmのが一本ヌッと出る。
太さも直径4cmほどありご立派だ。
人は本能として大きいものに対して無意識に畏怖を感じるという。
私のうんちにもそれが、ある。
表面も、いい。荒れている箇所などなく、肌質(?)はうんちとは思えないほどきめ細やかで生まれたての赤ん坊のそれだ。
色も、いい。健康的な色。黒すぎず赤すぎず、鍛え上げられたボディビルダーの肌のような色をしている。
ニオイもいい…が、これは流石に生々しすぎるから詳しくは言わないが、
「腸内細菌のバランスがいい人のうんちは乳酸菌の発酵臭がしてうんち独特の不快なにおいがしない」というクソ知識を置いておくので察してほしい。
とにかく、すごく健康的なうんちなのだ。
ダヴィンチの人体図のあの健康的な美しさをそのままうんちにしたような。
そういう神秘的な美しさ。
毎日、自分のうんちを見ては「これを生み出せるのは大きな才能なのではないか!?」と考え、そして「これがうんちでさえなかったら…」と悔しさを感じている。
芸術的うんちエピソードは他にもある。
前述したが、私のうんちは長い。長いから当然便器の中でとぐろを巻く。
ある日のうんちはこう曲がっていた。
この形は…!?
それは、人類の遺伝子に刻まれた美の本質。
自然が生んだ最も高貴な形。
偉大なギリシアの賢人たちが、レオナルド・ダヴィンチが至った芸術のひとつの答え。
宇宙の神秘の根源。
その日、そこに、あった。便器の中に。
私のうんちはただの物質でありながら、いや心がないからこそ至った。
ただただ美しかった。芸術だった。
これは神の慈悲。
我々は「人類は自然に反するもの」という哀しくも傲慢な思い上がりをその身に宿している。
これはそれに対する答え。
"自然に黄金比をひり出す人類もまた自然の一部なのだ"と。
おそらく腸内環境が改善されればどんな人類も黄金比を見つけられるに違いない。
我らもまた、自然なのだ。
でもうんちであるからには流さなければいけない。
水洗レバーに手をかける。
うんちは黄金比を保ったまま回りやがて自壊し流れていった。
美しかった。
美しいモノは最期の瞬間も、また美しい。
2019.10.23 ぐら
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?