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ステレオタイプではない本当の"無敵の人"について。【無敵の人はどこにでも。あなたもわたしもおねーさんも】


ぐらです。きっと、無敵の人予備軍です。


あなたは「無敵の人」って単語聞いたことありますか?
2chの創設者ひろゆき氏が発祥のネットスラングです。

以下ピクシブ百科事典[無敵の人]より引用

「後先がない」「価値観の崩壊」等の理由により「犯罪に走るのも厭わない」人物を指すネットスラングである。
無敵の人の無敵とは……?
いわゆる「社会的繋がり(他者へのコミュニケーション)の皆無」「家庭環境・無職・挫折などに起因する価値観の崩壊と劣等感の誇大妄想」などの条件により失うものが何も無くなっている状態を指し、このような状況の場合概ね自暴自棄な感情を持ち無敵とは裏腹に自ら敵を作っていく傾向にあるらしく、極端な「成功者への妬み」「社会への復讐」といった思考に陥っている。
無敵の人とされる者が引き起こした事件
・秋葉原無差別殺傷事件
無差別殺人のケースで最悪の事態を引き起こした事件として有名。
・黒子のバスケ脅迫事件
一個人への過剰な妬みが引き起こした例。犯人が自ら裁判において自身の境遇を「無敵の人」と言うワードを用いて供述した。逮捕後も裁判において自暴自棄な供述をしたとされる。
・福岡IT講師刺殺事件
荒らしだった男がブロガーであったIT講師を殺害した事件。荒らしを通報した事をブログに書かれた為に付け狙われた末の事件である。そもそも男は「低能」といったワードで他者に噛みつきまくる荒らしとして「低能先生」(勘違いされやすいが殺害されたIT講師の事ではない)と呼ばれて第三者達からバカにされていた事も遠因だった模様。


とにかくこの百科事典では堕ちに堕ちた人間が自暴自棄でやった。と結論付けている。
これは一般的な無敵の人のイメージに合致していると思います。

・追い詰められた
・頭のおかしな人間が、
・自分にはもう失うものがないからと、
・やけになって周りを巻き込んだ大迷惑な行動をする。

そんなイメージ。

社会の底辺人間の成功者へのやっかみ、というか。
なんなら街で見かける低知能人間の延長線上、というか。
別の世界の人間の話、というか

そんなイメージがあると思います。


おそらく実際は違います。
私の考えでは、
彼らは私たちと同じ世界に生きている普通の人間が「無敵化」しただけなのです。


そう、

"もうどうにもできない"ではなく"なんとかしてきた"から無敵の人と化した


からです。

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もう一度引用します。

いわゆる「社会的繋がり(他者へのコミュニケーション)の皆無」「家庭環境・無職・挫折などに起因する価値観の崩壊と劣等感の誇大妄想」などの条件により失うものが何も無くなっている状態を指し、このような状況の場合概ね自暴自棄な感情を持ち無敵とは裏腹に自ら敵を作っていく傾向にあるらしく、極端な「成功者への妬み」「社会への復讐」といった思考に陥っている。

これ。
ここでは失うものがなくなって自暴自棄に、と書いてますが違います。
家庭環境・無職・挫折・孤独をなんとかしてきたんです、彼らは。
つまり、これらの苦難に対し死を選ばず(選べず)に乗り越えた。

これらが"どれだけショックなのか、死を考えるほどのものなのか"は本当に体験した人にしかわかりませんので上手く伝わるかわかりませんが、
どれも"自殺を考えるきっかけになり得るほどの困難"であることはわかると思います。
これらがきっかけで自らの死を選んだ人もいるでしょう。

でも彼らはそれをなんとかしてしまった。乗り越えてしまった。

結果、彼らにPTSGが起こってしまった。と私は考えます。


PTSGとは

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Post Traumatic Stress Growthの略で、
日本語に訳すと心的外傷後ストレス成長です。

PTSDと語感が似ていますよね。
実際PTSDの概要と照らし合わせた方がわかりやすいです。

PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)は、強烈なショック体験、強い精神的ストレスが、こころのダメージとなって、時間がたってからも、その経験に対して強い恐怖を感じるものです。

PTSDはショック体験、強い精神的ストレスがきっかけで、
根深いトラウマを発症してしまうことですが、

PTSGはショック体験、強い精神的ストレスがきっかけで、
精神的に成長出来ることを指します。

PTSGを体験した者には以下の5つの変化が起きるという研究結果が出ています。

1)他者との関係:より深く、意味のある人間関係を体験する。
2)精神性的変容:存在や霊性への意識が高まる。
3)人生に対する感謝:生に対しての感謝の念が増える。
4)新たな可能性:人生や仕事への優先順位が変わる。
5)人間としての強さ:自己の強さの認識が増す。


私もおそらく経験しています。
私は子供の頃から虐待されていて、精神がずっとボロボロで一度自殺未遂までしました。

ですが、それを乗り越えたとき不思議な感覚を手に入れたというか、おそらくこういう経験をしないと手に入れられない強さを手に入れた感じがします。


もう少し具体的に言うと

1)他者との関係:人と自分の境界線を引けるようになりました。より自分を肯定出来ますし、他者も肯定出来ます。

2)精神性的変容:メタ認知、客観視など物事を一歩引いて見れるようになりました。主観の自分と、客観の自分。その2人で1人の人生を運営しているような感じ。

3)人生に対する感謝:現在、社会的地位は低いですが私の人生の選択肢は間違ってなかったと自信を持って言えます。これが最適解です。

4)新たな可能性:良い意味で生への執着心がなくなりました。人はいずれ死にます。だから人生の選択肢を自分の利益主体で選ぼうという気持ちになれました。

5)人間としての強さ:困難があってもすでに似たようなの乗り越え済みなので死を考えたりしません。そして、あれを乗り越えた私が弱い人間なわけもまたないのです。


つまり、むちゃくちゃ死生観が変わる。

そして文字にしてみるとわかりますけど、めちゃくちゃ人間として強い

が、こんな人間が負の方向の行動を志すと危険なのもわかっていただけますか?

・自分の選択は間違っていないと思っている
・生の執着心もなく
・多くの困難を乗り越えてきて
・自分のやりたいことに対する覚悟が決まっている

…私自身もすでに行動規範が善悪・道徳・倫理ではなく、
自分の意思を根底にしていることは自覚しています。
色んな行動療法note書いてるのは「昔の自分と同じ境遇の人を救いたい」という意思からです。
まさにステレオタイプな武士道な感じで、
生きることより大事なことがある。そのためには死を惜しまない。」という精神なのです。

彼らもそれを得た
失うものがないんじゃないんです。
人生を捨ててまで守るべき矜持を得てしまった。

かっこいいですか?いや、違います。

もし何かの拍子で凶行をしなければ自分の意思を尊重できないという状況に陥ったら私はそれを行うでしょう。
たとえそれが他人から見たら理解不能な行動だとしても
今は正の方向に意思が向いてるだけの危ないヤツなのです。

"失うものがないから"ではなく"失ってもなんとかしてきた経験を得た"から無敵の人は強いのです。


自分はいくらでもやり直せるし、いつ死んでもそれはそれでいいという死生観を得てしまった。



無敵の人はスポーンモンスターではない。誰にでもなり得る

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またまた引用

いわゆる「社会的繋がり(他者へのコミュニケーション)の皆無」「家庭環境・無職・挫折などに起因する価値観の崩壊と劣等感の誇大妄想」などの条件により失うものが何も無くなっている状態を指し、このような状況の場合概ね自暴自棄な感情を持ち無敵とは裏腹に自ら敵を作っていく傾向にあるらしく、極端な「成功者への妬み」「社会への復讐」といった思考に陥っている。

勝手な憶測ですが結果的に成功者への妬み、社会への復讐に見えるだけで彼らなりの正しい行動だったのです。
自分の矜持のための」行動だったんです。
負の行動でも根底にあったのは正の意思だった。
やけになったわけではなく、きちんと理知的にロジックがあってやった。
人間的な理由があった。

決して頭のおかしい人間(別種の人間)がやったのではなく、
どこにでもいる人が"無敵の人"化して行った。

ということを伝えたい。


無敵の人の記事や巷での反応を見るに「無敵の人」はまるでゲームのモンスターのようにポッと湧いて、運の悪い人がエンカウントして被害を受けるような受け止め方をしている人が多いように思われます。

別の世界の人間。創作上のキャラクター。この世の底辺社会が生んだ怪物。

クマが山から下りてきて人里を襲う、と同じ感覚。

これにはとても違和感がある。

おそらく条件さえ揃えば大体の人はPTSGを経験し、
そこでめぐり合わせが悪いと負の方向に行きそして"無敵の人"になるでしょう。
あなたもあなたの隣人もきっとそうなる。

決して自分と関係のない世界の生き物ではないことをわかっていただきたい。


さいごに

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長々と書いたが要約すると1行で済みます。
無敵の人は"なんとかしてきた者"である

無敵の人の言語化がとても難しいからなのか、
本当に人里におりてきたクマ感覚で考えている人が多いように思われます。

街で見かける理解出来ない人間の延長線上。
店員に横柄な態度を取る人間、平気で人の嫌がることをする人間。
そういう同じ人の形をしながら人の心を持たぬ者たちの堕ちた先だと。

でも私はそうは思わなくて、私たちと同じ人間の延長線上にいると思っています。
先に挙げたような人たちは逆に無敵の人まで堕ちれない。
矜持がない、から。

確固たる意志がないと凶行に至れない。
同じ心ある人間なのだ。


あとがき


この記事、無敵の人を称賛している風にとらえられてしまうのがちょっと怖いです。
決して彼らの凶行は許されるものではありません。
私もそう考えています。

ですが、私の考えでは無敵の人はどうしてもその特徴が英雄と似通ってしまうというか、
おそらく正の方向にいくか負の方向にいくか、なのです。

以下百科事典引用

注意
こういった「無敵の人」が起こした行動をごく一部の同じ様な境遇者達から英雄視される事があるが、無敵の人とは断じて英雄でもなんでもない。

まさにその通りなんですけど、この英雄的な特徴を持つというのが議論するうえでとても危うくて、
それを考慮に入れることを避け続けたところ実態とは違う(みなさんがイメージする)「無敵の人」というキャラクターが出来上がったんじゃないか、と思います。


例えば、自分の信念のために戦うっていうとむちゃくちゃかっこよくなってしまう。(結果がどうであれ)
これはものすごく語弊がある。誤解を生みやすい。
だから避けたい。

おかしな凶行を起こした者は、動機もおかしなものであってほしいと願う気持ちがある。
そこに正の意思は介在しないでいてほしい
最初から最後までおかしな理由でおかしなことをしたことにしてほしい。

そういう無意識がだんだん「無敵の人」を創作上のキャラクターというか、
実態を伴わない想像上のモンスター化させてしまったんじゃないかと思っています。

でも議論するうえでそれはいけない。
"無敵の人化"を防止するのに"想像上の無敵の人"を議題に挙げてあれこれ言っても意味はない。
無敵の人が持つ英雄的特徴を無視してはいけない。
避けてはいけないのです。


2019.10.30 ぐら


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