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“シャカイジン”になった日のわたしへ



自分を切り売りしている感覚がある。
電車の中で、適度に伸ばして、整えて、ぴかぴかに磨いた爪を見ながら思った。
深い紺のスーツの中でその爪だけが妙に馴染まない。

いや、目立たないだけで手や指の毛だって綺麗に剃ってある。
自分の目には見えないだけで、まつげはきちんとお行儀良く上を向いている。
足は慣れないパンプスに押し込めて、ちょこんと並んでいる。


社会人なんだから、身嗜みぐらい。

そう言ったのは誰か。
お節介な誰かかも知れないし、自分かも知れない。顔のない大勢の誰かかも知れない。


別に、爪なんか小綺麗にしたところでわたしの頭の回転速度が上がるわけではない。何か仕事のパフォーマンスが上がるわけではないのだ。

でもなんとなく。
だって名刺を渡すときに深爪していたらなんかいやでしょ。伸びすぎていてもいやだけど。
まつ毛が下を向いていたら、なんか暗いなって思うでしょ。派手すぎても品がないけど。
スニーカー履いていたら“なってないな”って思うでしょ。ヒールも5センチまでだけど。



そこまで思って、昨日までのわたしはマイナスなのか?って思った。

ずっとスポーツをやっていたから、爪は伸ばしたことがない。おんなじ理由で足に負担をかけたくなくてスニーカーばかり履いていたし、まつ毛は生まれた時から下を向いていた。毛だって多かれ少なかれ生えて生まれて来たでしょう。


でもそれはマイナスになるから。そのマイナスの穴をせっせと埋めなくちゃいけないのか。

パンプスの中に押し込まれた小指の付け根が、小さくか細い悲鳴をあげる。
そのフキダシを“マイナス”という名前の穴に入れて、上から手でていねいに土をかけて埋めるのを想像した。

まるでお墓だ。


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辻村深月の小説で、「テレビに出ている人は自分自身を消費している」という趣旨のセリフがあった。
小学生か中学生か、そのぐらいのときに読んで、以来読み返していないのにずっと頭の片隅にいる言葉だ。

自分を切り売りしている感覚がある。
その感覚は自身を消費する感覚に近いかも知れない。
いや、別にテレビに出るわけではないのだけど。でもやっぱり人の目に晒されるというのはおんなじだ。


ぴかぴかの爪、いちまい。
チャリンチャリン。

ハイここで笑顔。
チャリンチャリン。



もうすでに疲れてしまって、お客さんに会わない日ぐらいはスニーカーで出社するし、マスクの下にはうっすら産毛的な髭が生えてたりする。


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わたしは昔から基本的に学校の先生とかに気に入られやすいタイプだったのだけど、中学2年生のとき、赴任して来たばかりの先生に開始1日で気に入られたときから、“わたしのことを気に入るタイプの先生”が苦手になった。
だって開始1日って、あなたわたしの何を知っているの。なんて、八方美人で基本的に愛想良く振る舞ってしまう人間だからなんだけど。

逆にわたしのこと簡単にを気に入らない人のほうが好きだ。安心する。
この人は人を表面で見る人じゃないのだなと思うから。愛想良く振りまいた笑顔を、見てくれのハリボテを評価せず、きちんと積み重ねた努力だけを評価してくれる人だと思うから。


そういう人と築いた関係の方が、よっぽどいい。


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そういう先輩社員に出会えるから、安心しろよ。時間はかかるけど。途中で少しつまずくけど。でも出会えるから、安心しろよ。
電車の中でぴかぴかの爪を見ながらため息をついた1年ほど前の入社式の日のわたしに言う。

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