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[gururi note] そこに在る場所

わたしたちは年に数回、札幌へ帰省する。
9月の初旬の今、今年2度目の帰省中。

札幌はカズさんの生まれ育った故郷であり、
わたしが大人になってすぐの時間を
長く過ごした場所。
家族も、友人もいる、大事な場所。

そんな札幌に、帰ると必ず訪れる場所がある。

⁡詰めていた息を、
すっと、ふっと、吐くような、
心を覆っている固いものが、
ぽろぽろと、ほろほろと、
ほぐれ落ちるような、
⁡そんな場所。

⁡いつでも、何処にいても、
大抵は、がやがやと、ざわざわとしていて、
沢山の声が、音が、人が、物が、思惑が、
混ざり合っていて。

それが世界というものだと、
確かにそうも思うのだけれど、
時折私は、その過分な混沌に翻弄される。 ⁡

抱えきれず、上手く纏えず、
でもそれに気づかないふりをして、
難なく立ち回っているよう振舞う。

ただ、難なくやっているように
“振舞っている“だけなので、
燃費の悪い自分の貴重なエネルギーを
振舞うことに持って行かれて、
気付かぬ間に疲弊していたりするのだ。


そのことに気付くのは、 ⁡
静かで、穏やかで、たおやかで、
ただそこに在ってくれる、
そんな場所で、息をつけた時。 ⁡

静かに、ゆっくりと、
思考を巡らす、取り去る、力を抜く。 ⁡

そう出来る場所がある、ということだけでも、
とても救われている。

そして、 ⁡ 誰かにとって、
自分たちのつくる空間がそうであればいいな、
いや、そうで在れるようにいたい、と、
ここを訪れる度、心から思う。

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