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勝手にキュレーション、その2。

ちーちょろすさんという方がおられまして。面白い記事を書いておられるので、勝手に紹介させていただきます。

書いておられることは下着、それも女性もののが中心なので、オッサンたるワタクシが紹介するのはちょっと気が引けるところはあるのですけれど(苦笑)、書いておられることのスジがぼくの「伝えたいこと」に近いと思うので、是非みなさまにもということで、恥ずかしさを押して紹介させていただきますです。


あ、「その2」としたのは、そうは書かなかったけれど「その1」を先に紹介しているので。


ちーちょろすさんの記事を拝見していると、人間がいかに思い込みに染まってしまうアタマデッカチな生き物なのかが見えてくる。

男性憧れのEカップ!!!

元彼氏がガッツポーズという下りには苦笑いを禁じ得ませんが、「!!!」な気持ちは、男ならわからなくはない。どーしてもわかってしまいます、悲しけれど。

豊かなバストはヒトのオスとしては、憧憬の的です。どーしても。

もちろん、ひとりの(人間の)男としてはひとりの(人間の)女性を愛するに際して、バストの大きさは二次的な属性に過ぎません。とはいうものの、オスの部分はどうしても抑えがたくある。そこを抑制するのは逆に不自然だと思うけれど、サイズに拘るのは逸脱していると言わざるを得ない。


ちーちょるすさんのご主張は、ブラジャーのカップの大きさは男性を喜ばせるための記号ではない。あくまで女性の身体をサポートするためのものこの機序が逆転していることへの嘆きと怒りを表明しておられて、ぼくは共感を覚えるわけです。

オスとして、そこだけの共感でないことも申し添えておきますが...σ(^_^;)


まず最初に、からだ。
アタマの喜びはその次。
この機序こそが「正しい」ということ。
機序を逆転させることは、ハラスメントでありセルフネグレクトでもある。

このことが、フォーカスされている話題が直接身体に身につける下着であるだけに、切実に伝わってきます。


こんなの、読むと応援したくなります。

で、応援のつもり(知識武装おじさんなアプローチ)で、下のようにコメントを差し上げました。

下着はみんなが身につけるけれど、不思議なことに下着を好きな人は少なくて、気持ちのいい下着の付け方を知ろうとしない。教えて上げようと思っても、知ろうとしないんですよねぇ、不思議なことに。そして「着づらい」下着を身につけて、気持ちいいと思い込んでいる。
生きづらさも、それと同じようなところがあると思います。みんな生きているけど、生きていることが好きではない。気持ちのいい生き方を知ろうともせずに、「生きづらい」生き方が生きやすいと思い込んでいて、本当に生き生きと生きている人間が生きづらく見えてしまう。
不思議だけど、そういう社会です。ここは。

溌剌とした元気のいいレスを返していただいて喜んでいます ♬

(レスの方は、直接お確かめください)


他にも下着装着に関しての(ノウハウもふくめた)もろもろが記事にされています。男性には(直接は)役に立たないものも少なからずですが、女性には直接有用だと思うので、訪問をオススメしたいです。


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