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『あたらしいお金の教科書』を読み始めた

江戸時代に似ている?

届いたので、さっそく読み始めました。新井和宏著『あたらしいお金の教科書』。

「はじめに」は、知ったかぶりの大人たち。ページをめくると、次のように文章が始まります。

私たちは大人は、お金について学校で教わった記憶がありません。おこづかいやお年玉など、子どもの頃からお金と付き合う機会があるというのに、いままでだれもが向き合い方や使い方を教えてくれませんでした。
 「お金ってなんだと思いますか?」

続いて、技術が発達していく新たな時代を

江戸時代に似ている

と書かれています。
ちょっとビックリだろうと思います。それこそ常識外れ。でも、私はとても共感します。私もつねづね、新たな技術の時代は江戸時代へ再帰すると考えていましたから。

それで、石田梅岩の『都鄙問答集』と並べて掲げてみました。枠組みには無料配布されているZoomの背景をお借りしてみました。


江戸時代はお金がなかった

石田梅岩とは、江戸時代中期の京都の人です。今風の言葉で言えば哲学者。それも在野の哲学者でした。梅岩が始祖となって、弟子たちも含めてまとめっていった哲学が石門心学と呼ばれています。

石門心学は商人の経営哲学から始まって、それ以上の内容を含んでいます。人間の生き方を語った人生訓と言っていいでしょう。

『あたらしいお金の教科書』のオビには

お金の本なのに、生き方は幸せや社会について考えたくなる

と紹介文が載せられていますが、石門心学はまさにこの紹介文の通りのものでした。ただし、江戸時代に合ったものではありますが。

石門心学は、後の日本人のマインドに大きな影響を及ぼしています。

石門心学への心酔を表明しているのは、よく知られているところでは松下幸之助氏。稲森和夫氏が主催する「盛和塾」も、はっきり石門心学を始原とすると謳われています。


なぜ日本の江戸時代では石門心学のようなものが生まれたのか。この問いに答えることは、「なぜ今の時代に『あたらしいお金の教科書』が生みだされる必要があるのか」という問いにつながります。そして、このふたつの問いをつなぐ鍵は、実は冒頭に引用させてもらった『あたらしいお金の教科書』の文章が指摘しているところにあります。

私たちは大人は、お金について教わっていません。にもかかわらず、お金の使い方を覚えている。言葉を覚えるように自然にお金の使い方を覚えています


日本の江戸時代には、おそらく世界で唯一であろう不思議な現象が起きています。それは、お金が広く使われるようになるより先に、教育が普及したという事実です。

お金は言葉です。物質化した言葉。なので、学校で教わらなくて人間は自然にその使い方を覚えます。ところが「読み書き算盤」はそうはいきません。知らない人は、すでに読み書き算盤を習得している人から教わらないと読み書き算盤を習得することができません

読み書き算盤を教わる場は、現代では学校です。江戸時代ならば寺子屋でした。江戸時代の日本社会が、庶民が全国津々浦々に自分たちで寺子屋を設け、読み書き算盤を子どもたちに教えていたことはよく知られている歴史的事実です。

なぜこんな不思議なことがおきたのか? この問いも興味深い問いですが、ここでは本筋から離れるので触れるのは別の機会にします。とにかく、江戸時代ではなぜか読み書き算盤の教育の普及が、お金の普及に先行したのです。

石田梅岩の石門心学は、そうした教育とお金の普及のバランスの上に出現した哲学だったと言えます。



では、お金よりも先に読み書き算盤が普及するとどういうことが起きるのか? 「つけ」という形の貸し借りが発生するのです。

現代の私たちのお金の常識では、借金と「つけ」は同じもののように思われます。ところが違うのです。借金と「つけ」は似て非なるもの。ここがとても大切なところです。

たとえば、私が新井酒店で買い物をしたとしましょう。晩酌を楽しむためのお酒を買いました、と。ところが持ち合わせがない。そこで番頭さんに「つけといて」とお願いします。番頭さんは「あいよ」と返事をし、大福帳に私の「つけ」の金額を書き留めます。

これは私にも番頭さんも、「読み書き算盤」をマスターしていなければできない芸当です。「つけ」は相互信頼の上に成り立つ貸し借りですが、それだけでは足らなくて、教育という要素が加わっている必要があります。

そこに加えて、江戸時代はお金そのものの流通量が甚だ少なかった社会です。江戸時代はまだ兌換紙幣は発行されていません。江戸方なら主に佐渡で掘り出される金、上方は石見の銀山から掘り出される銀を加工して、お金として流通させていました。銅銭である寛永通宝や、各藩が藩札を発行したりしていましたが、それでも経済の規模に対してお金の流通量が絶対的に不足していた社会

この不足分を補っていたのが、読み書き算盤の普及を基礎とした庶民の「つけ」経済。信頼経済です。

実は、「つけ」はパーソナルなお金の発行です。eumoのように新しい単位をつけたりすると国が発行しているものとは別物だとすぐに認識できますが、それをしなかった。する発想がなかったのです。だから、単位は国の共通のものですし、新たに通貨を発行したわけでもありません。ただ「記帳されただけ」なんですが、それでも立派なお金です。

石門心学が経済合理的な経営学ではなく人生学・人間学になっていったのは、すでに成立して信頼経済が背景にあったからです。信頼経済を維持し発展させていくことは、人間同士の信頼を発達させていくことに他なりません。だから石門心学は人間学になった。ごくごく自然な成りゆきです。

ここまでは「なぜ日本の江戸時代では石門心学のようなものが生まれたのか」という問いに対する回答です。そしてこの回答が腑に落ちれば、「なぜ今の時代に『あたらしいお金の教科書』が生みだされる必要があるのか」という問いへの答えも、自ずと浮かんできます。


新井和宏と石田梅岩

現代は金余りの世の中らしいです。金余りなのに配分が非常に偏ってしまって、ないところにはさっぱりないという歪な状態。お金を貸すことを生業にしている銀行などは、一生懸命借金をする人をさがしているような状態。非常に不自然で不健全な状態です。

私たちは一生懸命働いて「信用」を増やしてきました。信用を増やすことが信頼を増やすことにもつながるという時代は間違いなくありました。日本の場合で言うと、明治維新以降にそうした局面に入りました。この局面の先頭に立ったのが、目下話題の渋沢栄一。『論語と算盤』です。

ですが、この局面は終わりを迎えつつあります。というより、終わりにしなくてはなりません。信用の循環は金融資本主義のシステムのもとで非常に歪なものになってしまいました。『あたらしいお金の教科書』の著者である新井さんの出発点は、この「歪み」を身を以て体験したところにあると伺っています。

この点、石田梅岩とよく似ていると言えなくはありません。梅岩が生きた江戸時代中期は、そうはいってもお金の流通量が増え始めた時代でした。そうなると「信頼より信用」の勢いが増し始めます。梅岩は自身の承認として之経験の中からその流れを敏感に感じ取って、信頼経済を守ろうと四〇半ばで石門心学を立ち上げた人と伝えられています。

信用から信頼への再帰。これが現在始まりつつある局面です。それも世界的な規模で、です。信用から信頼へ切り替えていかないと、地球環境が持たなくなっているという切実な問題もあります。時代が『あたらしいお金の教科書』を求めている、というのは決して言いすぎではないと思います。


実は私は、まだ『あたらしいお金の教科書』の内容には目を通していません。つい先ほど、届いたところです。「はじめに」を読んで、目次に目を通して、ぱらぱらとめくってみた程度です。

ですけれど、先に書いたように、内容の予測はしていました。現在が信用から信頼への切り替え局面であるという認識が正しく、その先頭を走っているのが新井さんだとすれば、その内容は人間同士の信頼を育む人間学になっていくはずだからです。石田梅岩が書き表したところを、あたらしい形で目指すものになるはず。

検証はこれからですが、大筋は外れていなさそう。となると、違いの比較が主眼になりそうです。それはとりもなおさず、古き良き時代と、新しく懐かしい時代の比較になるだろうと思います。


日本のアドバンテージ

先にも書きましたが、江戸時代に起きた教育の普及がお金の普及よりも先だったという現象は、おそらくは日本に特有のものです。ということは、日本人はアドバンテージを持っているということになります。現在世界的に、信用から信頼への新しい局面に切り替わりつつありますが、日本はこれから始まる新しい局面を過去に経験しているということになります。

このことは『あたらしいお金の教科書』の「はじめに」にかかれてある通りです。

そうしたアドバンテージは、別の形でも確認をすることができます。つまり日本は積み上げてきた信頼経済の遺産をもっているということです。

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この図は『Global Economic History』に掲載されているもの。『Global Economic History』は世界標準と言っていい経済史の教科書なんだそうです。

この図の中に、日本および台湾韓国だけが、世界標準(平均線)とはかけ離れたところに位置しています。お金で換算されるGDPと(どのように計算したかは不明ですが)「成長の要素(Growth factor)」とを比較したとき、日本および台湾韓国は「成長の要素」の比率が高いことが判明しています。

この事実は、現在の経済学でも謎とされているものなんだそうです。私がこのことを知ったのは「Quora」というSNSで、それがこちら。日本にノーベル経済学賞受賞者がいない理由を問う質問に対する、経済学者の回答です。

日本のユニークな経済発展の秘密を解き明かせば、ノーベル経済学賞をもらえるかもしれない、と経済学者は回答しています。

この理由はカンタンです。教育の方が先に普及したから。もっとも、経済学の様式に従った論文にするのは大変でしょうけれど。


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感じるままに。