言葉のひとり歩き

 「オェッ」。7月のある平日の朝、いつものように朝ご飯を食べていた。口に入れたのはいいものの、素直に飲み込めない。「ちゃんと食べなきゃ」。えずきながら食べていた。無理をしているとすらも気付かずに。明らかにその時、仕事やその他様々な影響からか、食欲不振の兆候が出ていた。

 周囲の薦めもあり、8月半ば、病院で診察とカウンセリングを受けた。その日の受診だけでなく、いまも継続してカウンセリングを受けている心理士の方から、これまでにいくつものアドバイスをもらった。その中でハッと思わせてくれた、3つの言葉を紹介したい。

「プライドは高い低いではなく、持っているかどうか」

 心理士の方いわく、日本人の多くは、プライド(≒見栄)を張りがちだという。たしかに、そうかもしれない。見栄を張っているから、背伸びをしてしまう。「誰かに頼るのは恥ずかしい」「こんなこと聞いていいのかな」と思ったり。振り返ってみても、自分の中にそういう節はあった。仕事において、”変な”プライドを傷つけたくないために、分からないことを聞くのをためらっていた。きっと見栄を張っていたのだと思う。プライドについて、こんな例えを教えてくれた。「たとえば、モノづくりの職人さんは、うまくいかず何度失敗しても、絶対にあきらめないでしょ。プライドが高いからではなく、プライドを持っているからだと思うよ。」

「ちゃんと、きちんとは、その人の価値観の押し付け」

 「ちゃんとやらなければいけない」「きちんとしないと」。当たり前のように、そしてよく使っている言葉の意味を、改めて見直すきっかけになった。そもそも、「ちゃんと」「きちんと」ってなんだろう?どこまでやれば、「ちゃんと、きちんと」なの? そんな曖昧な言葉で、自分を苦しめていた。「任されたことをきちんとやらないと」。自分の中で、”きちんと”の線引きもできずに使っていた。

「~ねばならない、~べきだは、ディスコース(言われたこと)」

 「朝ごはんは食べるべきだ」。世間一般的にはそう言われている。でも、大して食べたくもないのに、ご飯を食べるべきなのか?恥ずかしながら、その判断すら鈍ってしまい、無理やり食べていた。ちょっと食べないからといってすぐ死ぬわけでもないのに。身の回りには、「~するべき、ねばならない」があふれている。「~らしさ、~らしく」も同じかもしれない。今回アドバイスをもらって、ディスコースには危うさがあると痛感した。その枠に自分を無理やり押し込めようとする。比較が他者との基準になる。こうして自分を苦しめてしまうのだと。

 当たり前のように使っていた、「プライド、ちゃんと、べき」。これまで、これらの言葉がひとり歩きしていた。カウンセリングを通じて、自分の中でかみ砕いて、落とし込むことができた。同時に、鎧をつけていたように重かった気持ちが、ずいぶんと楽になった。半年前にはなかった考え方が、いまは、自分の中に浸透した。そして、ちょっとだけ気持ちが強くなったような気がしている。

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