サッカーと息子とわたし
さあ息子の試合だ。
今日はホームゲームである。
妻といっしょに試合会場に向かう。
空はかすんでいつもの場所に富士山は見えない。それでもカラリとした空気は心地よく、街路樹の新緑が眩しい。
息子の試合はずっと続く。そう思っていた。
しかしもう17歳である。高校生でプレーする試合は、実はもう10試合ほどしか残っていないのかも知れない。少し感傷的になる。
信号待ちで、ふと思い出した。
数年前だったか。妻とこうして試合会場に向かう途中、あまりの緊張で引き返そうかと思ったことがあった。
それは新シーズンの開幕ゲームだった。
その年、息子は1つ上の学年に飛び級しており、しかもその開幕試合でスタメン出場が決まっていた。
ひとつ上の学年。しかもスタメン。
晴れがましく誇らしいことである。しかしわたしたち夫婦は若かった。
試合前夜、わたしたちの願いはそれだけだった。
息子にも「思い切りやってこい」ではなく、「先輩たちの試合で失敗しないようにしろ」「セーフティーにいこう」と伝えたかも知れない。
そして試合当日。
会場に向かう夫婦の会話は、勝ってほしい!でもゴールを決めてほしい!でもなく、先輩たちの試合でミスをしたらどうしよう、息子の失敗でPK献上したらどうしようというネガティブな言い合いだった。
結局その試合がどう決着したかは覚えていない。
覚えていないということは、ミスはしなかったという程度のプレーだったのだろう。
そしてその後しばらく、息子がスタメンで出場することはなかった。
わたしたち夫婦は未熟だった。
サッカー選手にとって「ミスをしない」というマインドは、達成目標と呼べるべきものではなく、チームの最低基準にすら到達していない。
サッカーはボールを足で扱う競技である。ミスはつきものだ。
何回ミスしてもいい。ミスしたら奪い返せ。1ミリでも近く相手に寄せろ。勇敢にボールを奪取し、ゴールを目指せ。
そういう競技なのだ。
息子のデビュー戦。サッカーの本質を履き違えたわたしたちのメッセージは、これでもかというくらいに息子を小さくさせてしまった。
申し訳ないことをした。
しかしである。彼は夏前に再びスタメンに返り咲き、そのシーズンは大活躍を見せることになる。親の戯言など関係ない。自分自身で大きく成長を遂げたのだ。
キックオフ15分前。試合会場に到着した。
ピッチサイドからアップ中の息子に声をかける。
彼はニヤリと返してきた。
かすんだ空を切り裂くように、一羽のツバメが強く強く上昇する。
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