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全部僕の「借金」を言語化したい

僕には5000万円の借金がある

5000万の住宅ローンではない。総額5000万の借金がある。

この借金について、僕の頭の中から取り出しておかねばなるまい。僕は、僕のために、僕の借金について言語化しておかねばなるまい。

思考を言語化したいとか、文章がうまくなりたいとか、note連続投稿だとかもっともらしい御託を並べるのは今日はやめよう。

いつもは思考の片隅に追いやり、厳重に蓋をしているが、この借金は確かに存在するわけだから、今日は気合を入れて頭の中から取り出して天日干しすることにしよう。



刮目せよ。

これが僕の借金である。


2024年4月現在



現実味がない

よくここまで借りたものだ。金融機関もよく貸したものだと感心する。もちろん金利はきちんと支払っているし、諸々の担保を差し入れているわけで(中には無担保もあるが)、まあ僕に何かあれば、何かがあって、何とかなるのだろう。

しかしやはり、現実味がない。
というよりも、見ない・聞かない・考えないふりをして生きている。

ところがふとした瞬間に予告なく、このどんよりとした借金があるという思考が頭をもたげる。映画館でも、バラエティを見ているときも、家族との団らん中でも、会議中でもおかまいなしだ。

ああ僕には莫大な借金があるのだという黒いドロリとした思考の固まり。これはなかなかに「しんどい」気分である。自虐的に「死んどい」と書いてしまう。借金持ちにしかわからない気分だろう。


なぜ何とかなるさと考えているのか

年金は積み立てているし自社株もある。退職金も出る。定年でチャラにはできるだろうし、毎週購入しているロト6が当選すればチャラになる。末子が就職する頃にはこの借金がもう少し増えるかも知れないが、いずれは精算される借金だろう。だから何とかなると蓋をしている。

世の中お金のことばかり。つみたてNISAだの億り人だのFIREだの、世間はつくづくかまびすしい。

「老後のために積み立てておかないと苦労しますよ」

大きなお世話だ。もう一度言う。大きなお世話だ。老後にお金が必要だなんて、そんなことはわかっている。しかし人間はいつデスノートに名前が書かれるかわからない。お金を抱えてお墓に入ることはできないのだ。そんなバカな考えがぐるぐると頭の中をめぐり、最終的には「何とかなるさ」と言い聞かせている。

いまの返済状況について

毎月の返済は結構な額である。住宅ローンも合わせて月22万円くらいだろうか。この返済にプラスして、生きるための支出と生活するための支出とライフイベント支出である。ボーナスを含めても収支はとんとんかややマイナス。子育てが終わるまではもう少し借金は膨らむと確信している。


借金の理由

身の丈以上の生活をしているのだ。ギャンブルで作ったとか誰かの保証人になったとか、そんな理由ではない。ただ自分を担保に借りれるところから借りて、少し背伸びした生活と子育てをして、今になってその巨額に呆然となっているアホなのだ。

ただこれは誰かに否定して欲しくて書いているのかもしれないが、僕はそんなに悪い人間なのだろうかとも思っている。全部僕のせいだとは思っている一方で、ほんとに全部僕のせいだろうかと、それは誰かに借金の原因を押し付けたいという意味ではないが、少し疑問に思っていることも事実である。

この気持ちを言語化するのはもう少し時間がかかりそうだ。どうしても自分のクズさと真剣に向き合う必要があるので、ちょっとしんどい。借金理由の言語化はもう少しじっくりと進めることにする。


借金を言語化する理由

書くことで思考を整理する。書くことで光が見えてくるかも知れない。書くことの力を信じて、いま僕が悩んでいることを言語化する。これが理由である。


嗚呼、まずはスッキリした。

これだけのことをブハッと一気に吐き出した。これだけで、ずいぶんと気が楽になるものである。書く前と後で状況は何も変わっていないけれど、これを書いたということは僕にとって大きな一歩であると確認している。

note、22日目。

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