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雪の中、家を追い出された20の夜〜誰が為に私が在る〜


31年前、1月の寒い日。
雪のチラつくその日に私は生まれた。

また同じくして、11年前の、20歳の雪の日。
私は、帰る場所もなくさまよっていた。ふと、上を見上げれば夜空には、街灯に照らされた雪がチラついていた。

「俺よりも家族が大事なのか!?どっちか選べよ!」
「お母さんよりもあの男が大事なのね!?どっちか選んでよ!」


さっき、彼氏と、そして自らの母親に言われたことを、頭の中で反芻させながら、どちらの家(実家含む)も突き飛ばされ、追い出され、トボトボ一人で寒空を歩くことになった経緯を思い出す。

双方ともに、物事が自分の思い通りにならないと、癇癪を起すタイプだった。そんなことは、癇癪マミーの子だから生まれた時から慣れっこで、しかし流石に同時に2人が癇癪を起してくるとは、私もこの時は記憶が飛ぶことが多くなっていた時で、かなり疲弊していて抱えきれなかった。当時、自分の100%以上を使って2人にフルコミットしていたので、突然の追放に引き裂かれる思いだった。しかし、前を向かねばならぬ。

「ふぅ。一人で、立たないと、いけないな~。」

そんなことを思った。私は、私である必要がある。と強く感じたのだった。
この時、20歳くらいの私は、ちゃんと自分というものが確立されてないから、こんな状況に陥っているのだと状況を把握した。

そして、反省した。

それまでの自分は、10代の中では、人生における色々なことを自分で決断してきた方だった。社会の流れも、親の忠告も全て無視して自分で調べて選んで進んできた道だったはずなのに、まだまだレールの上なのかと愕然とした。虚像だ。自分で決断してきた、のは何だったのか。

私は、私を創り直す必要がある。取り戻すのだ。

この時に、自らに何をしたいのか問うたところ、より広い世界、色んな人々に会って話を聞きたいとのことだった。ここに、冒険家としての自分は誕生したのである。旅は一切禁止の実家だったので、私が放浪し始めたのは20代になってからである。自費で色々行くようになった。

冒険と共に始めたのは、多くの人が直面するであろう、自分とは何か問題だった。冒険で出会う新たな自分の一面を見つけては、自分のカケラだわ~と拾い集め、また、大学院の課外講座で発達心理学を学んだり、やれ共依存だ、やれ愛着がこじれているだ、やれインナーチャイルドがうんぬんかんぬんと、それはそれは色々な説があった。

(それと共に、上記2人の発言が衝撃で、そもそも人間とは何か?という問いに直面したので、ラブホテルで人間観察をし始める。その観察日記はこちらへ→https://note.com/guuzenno_sawady/n/n7106e301b766?sub_rt=share_pw


「俺よりも家族が大事なのか!?どっちか選べよ!」
「お母さんよりもあの男が大事なのね!?どっちか選んでよ!」

と言われた私は、衝撃を受けた。
何に衝撃を受けたかと言えば、自分である。
自分の意見の無さにだ。
正直、どちらも選べなかった。嫌という意味ではなく、どちらが良いも悪いも、何も意見が無い。本当に意見が無い。

今も、意見が無い方であるが(※数点については、かなりのこだわりがある、旅先とか。)この時は、さらに意見が無かった。自分自身の意見なんてない方が、癇癪を割けるためには、生きやすいからである。

この時から、ずっと。
自分と向き合った時に、自分の自分らしさを出すことを阻害しているのは、我が家の変わったマミー(母)だと思っていた。それは、色々な本や説に書いてあったし、実際にそれも一理あろう。


人の心は一重ではない。重奏である。良く言う玉ねぎの皮のように、ムキムキムキムキして、皮という皮に母が書いてあって、それをムキ終わったとき、自分阻害をしている本当の奴の姿に出会った。

それは、自分だった。

この事実を知った時、かなり驚愕して、呆然とした。
あれ?唯一の味方じゃなかったか?
つらい時に、一番話を聞いてくれて、一番慰めてくれたのは君(自分)じゃなかったか?それが・・・?敵・・・?

だいぶ動揺しながらも、しばらく観察していたら、その自分は泣いていた。
良く聞くのは、自分の小さいころの姿が泣いているというが、私の場合は、めっちゃ大人でアジア系の別人でサリーを着ている。でもこれは、自分だ。謎だ。話を聞けば、「寄り添いきれなかった」、という。

私の小さいころからの根本願望に、この「寄り添いたい」がある。
3歳からアンパンマンでは、良いハートと悪いハートを望まずして持ち、たまに錯乱、2面性の持つロールパンナちゃんが大好きだったし、小学生から窮地に追い込まれると「君とわたしが手を組めば、世界は我々のものだ」と言い出しがちな、可愛らしいダース・ベイダー卿が大好きだ。
人の悲しみになぜか敏感で、笑っている人に向かって、「泣かないで。」(心の中が泣いてるのが分かるから。)と声をかけてしまい、事実を唐突に突きつけ本当に泣かせてしまったりする。

話を戻すと、元彼や母のように、悲しみを抱えた人々を近くに行きたがり、私は、この「寄り添いたい」願望を満たす傾向にあるが、結局のところ、「寄り添いたい」願望を満たすのは良いけれども、本人達の成長を阻害している事実は変わらない。

そして、私が寄り添うことで、人の悲しみの全てが解決すると思っているのではないか?という自力盲信説と、人それぞれがそのままで完璧なのだから、たとえ私が「寄り添いきれなかった」=力不足だった、私のせいで助からなかった、と後悔していたとしても、彼・彼女らはそれぞれの世界で幸せになっているのではないか、もしくは彼・彼女らの悲しみは、本当に救われなかったのか?悲しみ=悪と捉えすぎではないか?良い契機になる可能性もあるのでは?

など、「寄り添いきれなかった」という気持ちに対して、寝て起きたら、
ふわっと3秒で上記のことが頭を巡り、解消された日があった。(悩んで寝たわけでもないんだけど。)

その後、自分の精神の核にいた、この、”めっちゃ大人でアジア系サリーを着ている自分”は、サメザメ泣くのを止め、時たま不機嫌姿を見せるくらいになり、あとは難しい経典を読んでいる。たぶん、協力的になってきてくれている。今より多くのマジックを使ってくれるんだろうと思う。

両親を見ると、何かの底知れない悲しみを抱えた彼らに私は「寄り添いきれたのであろうか?」とずっと自問してきたが、彼らを信じること、世界を信じることだ。そして解は、自分で”ここまで”と決めることだ。

色んな人に、色んな話を聞くが、このように自分の中に自分を見つけ、自分と対話し和解していくことが、ある種、何かステージというものがあるならば、新たなステージへの入口であるように思う。パワーアップして次に行くみたいな。癇癪マミーとは、今年は一緒に京都へ〜🙌
(大体、小さい自分が泣いてます、、、話してみたら、、とかしか聞いたことないけどね(笑))




この話は、昨年、四角さんに「人生の中で忘れられない経験は何?」と質問してもらった時に話したエピソード。


今まで、絶対だと信じていた人と世界が一瞬で崩壊した日。音を立てて世界が崩れていった。

闇夜で一人、チラつく雪の中、泣いて歩いて、疲れてうずくまって、腹の底から声を出して空を見た時。昔から変わらぬ光る星を見た。北極星だ。
私は知らない世界を見ていって、色んな人に出会い、人一倍色んな経験を味わうんだと決意した。


そして私は、冒険家になった。


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