雑居

 膨大な未来のことを思うとき、目を開けたまま夜の夢を見るとき、先日初勝利を挙げた同い年のボクサーの真似をしてファイティングポーズを取るとき、私の眼前には大きな関東平野が広がっていた。

 否が応でも、その広大な土地に人は住み着き、道路を引き、水を引き、そしてたくさんのコンクリートを遠くの山から運んできて山のない平らな土地に山々を作り、海を埋めて平らな土地を増やした。でも、私は東京の海が嫌いではない。彼らが行なったひどい暴力やひどい略奪を私はまだ忘れたわけではないが、彼らが漂わせる独特の負の匂いは、私を不機嫌にはしない。

 その海や平野から私が暴力を受けるのは、彼らがあまりにも広大だからかもしれないし、私があまりにも矮小だからかも、もしくはその両方ということも十分に考えられる。夢を見ている時、全ては私の思い通りになる。別に右利きの私が左利きにグローブを構えようと、ボディがガラ空きのフォームで構えようと、私のやりやすいようにできる、その自由が私は愛おしい。その自由のためになら私はみぞおちの痛みくらいならやすやすと耐えられるだろう。それくらいの痛みには、いつだって慣れている。

 痛み。

 痛みのことを考えると、昔感じていた痛みを思い出す。
そしてこの痛みがロシアの文人たちと同じものであるとはっきりと感じる。彼らは痛みを堪えながら筆を進めていた。彼らは痛みを堪えながら銃を放っていた。でも、関東平野が私にむけてくる痛みはそういった痛みとは別の種類の痛みだ。その痛みは私の右の下腹部を鈍く打ち、私の思考を蝕み、私の両足を縛った。私はいつの間にか老眼鏡をかけるようになり、私はいつの間にか一つゆるいベルトの穴を使うようになった。(それは自己責任かもしれない。)痛み。痛みのことを考えると、私は関東平野に感謝しなければならない。私が自由に構えることができるのは、私がボディブローの痛みを想像して昔を思うことができるのは、すぐ近くに広大な関東平野があったからであり、そしてそこが豊かな水で溢れていたからだ。

 水は、私に暴力的に迫る。「お前がいるのは私のおかげだ」と強気な顔で私に迫る。彼女たちは、さも妖艶なふりをして近づいてきて、私の肺を満たす。私は気付かないうちに彼女に飲み込まれ、一言も話せない。でも、いつか、この関東平野を彼女たちが破壊してくれたら、と切に願う日もある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?