独裁政権時代がよかったと言う人たち

 大学でインドネシア語を専攻していたとき、インドネシア人の先生が「いまよりもスハルト時代のほうがよかった」とぼやいたのを覚えている。大統領選挙まっただなかで、現在のジョコウィ大統領の対抗馬であったプラボウォはスハルト時代を賛美していた。学部の一回生だった僕はよくわからなかったが、まさかスハルト時代がいいだなんて・・・、とドキッとしたというのか、少し身構えてしまった。

 国土が東西5000kmに広がり、1万2千もの島々があり、海を隔てずとも隣村とですら言語も変わるような島々。歴史的には何の関係性もなかった地域どうしもがオランダ植民地であったというだけで「インドネシア共和国」として独立した。海域東南アジア地域の共通言語であるマレー語を、マレー人というひとつの民族のための言語ではなく全インドネシア人の言語であるとして「インドネシア語」と命名し、ジャワ人のムスリムだろうがスンダ人のカトリックだろうがバリ人のヒンドゥー教徒であろうが、すべての民族はその出自の如何を問わず「インドネシア民族」であるとされた。
 今日、この島々ではどれだけ田舎に行ってもそのインドネシア語がしっかり通じるが、長年続いた独裁体制の賜物である。1965年に起きた9月30日事件で初代大統領スカルノが失脚し、その後1998年に至るまでスハルトが君臨した。
 誰もが注目するようなカリスマ的指導者のあとに(陰湿ながら)確実に政治的手腕は誇った独裁者が長期政権を敷いたというのはインドネシア特有の事情ではない。韓国やフィリピンなども同じような道をたどり、そして独裁者とその政権は表舞台から退いた。

 スハルト政権はたしかにインドネシア共和国を発展に導いたかもしれないが、こういった開発独裁とセットになるのが恐怖政治で、共和国の意に沿わない人々は存在を否定されたし、最悪は消された。東西5000kmのばらばらな島々を「インドネシア」にするためにあらゆる主張や勢力は押さえつけられていた。そもそもスハルトが指導者になったきっかけである9月30日事件からしてインドネシア共和国に合わないとされた共産主義勢力を一掃した事件だった。人々は共産主義者と思われないように「インドネシア人」として模範的であろうとした・・・というのが恐怖政治を執った独裁政権時代のイメージであるが、その人たちのバックグラウンドによって大きく左右されたというのが実態だろう。

 中国系の人たちは自分たちの言語を使用することを禁止された。中国語で教育する学校は閉鎖され、名前は中国語の名前から「インドネシア風」に改名させられた。町中の看板から中国語は消え、伝統行事は廃れて中国っぽい要素を消し去り同化することが求められた。ことばを大きくとるが、中国系の人たちからすればスハルト時代は暗黒時代であったといってもいいだろう。

 中国系然り、共和国を脅かすあらゆる勢力は否定されたが、イスラーム勢力もそのひとつである。イスラームが人口の9割を占めるインドネシアであっても「過激」なものは許されず、インドネシア主義的な国家を運営するなかでインドネシア共和国として相応しいイスラームの在り方をするべきだった。イスラームの実践はもちろん近代政治体制とのミスマッチを起こした場面があったにしても、おそらくは多数のムスリムにとってその実践は難しいものではなかっただろう。

 1998年にスハルトが退陣し、様々な混乱を経てインドネシアは民主化した。それぞれ独自の存在感を示すことが許されていなかった宗教的な主張や民族的なアイデンティティの表出などができるようになり、中国系の人たちも徐々に中国らしい伝統的な行事を復活させたり、なかには名前を中国風に変える人たちも現れた。このようにスハルト時代の形作ったインドネシアの枠を飛び出してきたといってもいい。

 そんななかで目立ったのがイスラーム勢力である。インドネシアに昔から通う人に話を聞くと「ヒジャブをつけている女性はこんなに多くなかった」と言う。もちろんヒジャブだけがイスラーム勢力の拡張を測るバロメータではないしインドネシア内外の事情を考慮する必要はある。冒頭の先生はこのような動きをよしと思っていない人だった。

 「むかしはもっと『インドネシア人』としてみんな仲良くやってたのに、いまは宗教や民族とか属性が違うだけで攻撃したりかかわりを持たないようになってしまった」と嘆いている。
 「スハルトが退陣してみんな好き勝手やりはじめた」「『行き過ぎた』イスラームを押し付ける人が増えた」とスハルト退陣後のインドネシア社会に対する不満が止まらない。もちろん日本にいるので変化していったインドネシア社会のなかに身を置いていないため、帰る度に何かが変わってしまった現実に戸惑っているという見方もできるが、おそらくこういう人はいまのインドネシアにも少なくないのである。その証左にプラボウォはジョコウィに対しいい勝負をした。スハルト時代のほうがよかったと思っている人が少なくないということなのだろう。

 高校生のとき、つまり大学に入学する前、モンゴルの野球チームに入る日本人青年が主人公の映画を見た。負け続きのモンゴルチームの監督がその青年に「民主化は嫌いだ。でも負けるのも嫌いだ」というシーンがあった。民主化であったり大きくのせいで生活が何もかも変わってしまったことについていけないのだろうと思っていたが「スハルト時代がよかった」ということばを聞いたときにその映画のせりふを思い出した。時代についていけなかった人たちとか、価値観をアップデートしていないとか、外野からいろいろ言うのは難しくないだろう。でもそれだけでは済まないなにかがある。気が付けばフィリピンは民主派が負けてしまい(もちろんマルコス時代とは時代が違うが)強権的な独裁政治家が選ばれた。

 自分はその時代の変化を経験していないので想像しかできないが、あのときドキッとしてしまった自分を思い出してしまう。少しでも「そんな馬鹿なことを」と思う前に、いまの社会の大きな変化に戸惑う人たちを想像できるようになっただろうかと自問するのである。

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