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1月のつれづれ日記

 なんとなく調子が悪いまま迎えた1月、やっぱり途中でずどーーーんと沈み込んでしまった。重力が増したんじゃないかってくらい体が重い。緊張感が胸のあたりに居座って、ざわざわした嫌な感覚が消えない。
 もう全部やめたいと思いながら、朝起きて、仕事に行き、帰って泥のように眠る毎日を繰り返していた。何事も器用にこなせない自分がたまらなく嫌になる。内面に向き合う余裕も、外見に気を配る気力もない。このままじゃだめだ……とわかっていても、自己否定の渦に飲み込まれてしまうと、抜け出すのはなかなかに難しい。

 そんなふうに鬱々としながら受けた職場の健康診断で、引っかかった。勧められるまま病院へ検査に行き、結果が出るのを待っている。不調の原因が身体にあるなら、それが薬や治療で治るなら、いくらか気持ちが楽になるなぁと思う。メンタルの問題だ、不定愁訴だと言われてしまうのがいちばん辛い。

 すこし気持ちが上向いてきた今、久しぶりにこれを書いている。心に余裕がなければ文章を綴れないのだと痛感した。おまけに読むことからも遠ざかっていた。せっかく米澤先生の『黒牢城』を買ったのに(直木賞おめでとうございます)、テーブルの上で手付かずのままだ。もうそろそろ読み始めたい。

 心身ともに絶好調とは言えない1月だったけれど、ひとつ嬉しかったのは、人と過ごす時間を持てたこと。人付き合いが苦手な私は、大勢でいるよりもひとり気ままに過ごすのが好きだ。でもやっぱり、人といることでしか満たされないものもある、気がする。

 初旬、同期と少し遠出をした。職場での付き合いは数える程度しかない私だけれど、そよも行こう!と誘ってもらったのだった。女子同士の気楽な旅。美容、恋愛、学生時代の話まで、お喋りに花を咲かせた。修学旅行の夜みたいで、なんだか懐かしくて、楽しかった。次に遠出ができるのはいつになるだろう。当分難しいのだろうな。

 中旬、大学時代の友人を家に呼び、夕飯を食べた。メンタルって難しいねと憂いて、仕事の愚痴で盛り上がった。将来の話もした。近々結婚する彼女は、今はまだ子どもを現実的に考えられないのだと言う。──更に生きにくい世の中になるのが目に見えているのに、子どもを望んでいいのかしら。でも、先人たちがそんなふうに考えて踏みとどまっていたら、人類はとっくに滅亡しているよね。考えすぎるのもよくないんだろうね。
 私はどうだろう。いつかは子どもが欲しいと漠然と思っていたけれど、私自身、生きるって辛いと思う日のほうが多い。そんな私が親になっていいのだろうか。よくわからなくなってくる。答えは出ないのかもしれない、とも思う。

 下旬、恋人とふたり暮らしをする家が決まった。一緒に住む上でのルール、家賃や生活費の負担額、必要な家具や家電、引越しの日取りまで、考えなきゃいけないこと、話し合うことがたくさんある。正直、新生活への期待より、上手くいくかなぁという心許なさの方が強いけれど、こういうのは勢いだと自分に言い聞かせることにする。楽しく暮らせたらそれがいちばんいいな、と思っている。

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