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「まっくらやみ・女の筑豊(やま)」・・・椿組 シアター・トップス


不安だった。
劇場の席に着き、開演前にパンフレットをパラリと開いてみた時の
気持ちだ。

2ページの見開き一杯に、この芝居の時間経過を含めた相関図が書かれている。
明治32年、35年、大正7年、昭和33年、35年まで。なんと60年以上に渡る年代と、登場人物の一覧だ。

「これだけの場面と人物を2時間の舞台上で展開するとなると、かなり複雑な構造になりそうだな・・・」

申し訳ないが期待と不安が2:8くらい。
不安が現実にならないように祈りながら開演を待った。

芝居の舞台は九州の炭坑。黒いダイヤモンドと呼ばれた石炭鉱と、そこで働く女性たちとの関わり方の変遷を中心に描いていく。

まず、開演冒頭。
子供を連れた母親の独白が続いた後、ある場所から坑夫たちが一斉に登場する。

意外な場所から役者が現れるる芝居はいくつか観たが、ここから出てきたのは、初めてだった。(詳細は書かない。是非実際に観て驚いてほしい)
この時点で、期待と不安が7:3に変わった。

続いて、冒頭でも述べた不安であるが、これも目から鱗の発想で、複雑な時代変化がわかりやすく伝えられる。
こんな手があったのか、と心がさらわれていると、山崎ハコさんの歌が入ってくる。

♪・・・私の国はどこにある・・・♪

という歌詞が、見事なタイミングで観客に届く。

くどくどと、書いてしまったが、
最初の数分間だけでも語りたいことが溢れてしまうほどの作品なのだ。

こうして、期待が不安を完全に払しょくした後は、
女たちの苦楽と情念に弄ばれる生き様の大きな渦が展開する。

舞台上で繰り広げられる芝居の面白さに、たっぷりと浸っていった。


個人的な事ながら、今回の舞台を見てひとつ認識を変えたことがある。

40年以上前の高校の歴史の教科書に「幼い少年を使った欧州の炭坑労働」という挿絵があった。
体の小さな子供にスラ(石炭を積んだ箱)を結び付け、狭い坑道を這って運ばせている画だった。

これを見た時、私は「弱い者を働かせて酷いな」と単純に思った。

だが、この芝居で「男衆よりもうまく掘ってみせる」女性たちを見て、ただの弱い者ではないと思った。
苦労はある。危険もある。
しかしそれらのリスクに女性たちも、男と同様に戦っていたのである。

舞台の話に戻ろう。
時代ごとの「女性と仕事の対峙」が芝居のキモになっているが、戯曲は逞しさだけに留まらない。

あまりの苦難と周りの無理解に直面し続ける為、
時に、抑えがたい激情に身を任せてしまいたくなる女の業(というのは失礼にあたるだろうか)も描いていく。
考察の深さと取材の厚さを感じさせるところだ。

その上で、

『いつ、誰が、女たちを真っ暗闇に追い込んでいったのか?』

という問いが、観客たちに突きつけられる。


さらに舞台が進むにつれ、「この先どうやって帰結するのだろう」という気持ちが強くなっていった。
それは、プロを気取って台本の先読みをしたのではなく、
今の世の中もこの先どうなるのか、という「現実の不安」に繋がって起こった事だった。

だりっだりっ、ぴちぴちっ、みしみし・・・

と音を立てて崩壊しそうな「現実の不安と疑問」は
決して過去の歴史譚としてだけでは終わらない。
自らの足元にも目を向けざるを得なるのだ。

この芝居は、その答えの一つを提供してくれる。


大仰な事ばかり並べてしまったが、最後にもう一つ。
この舞台では、音響にも注目して頂きたい。
狭い炭鉱の中に入った時のセリフに、絶妙なエコー(リバーブ)がかかっていて、その音響だけで坑道の雰囲気が伝わってくるのだ。

炭坑の中で展開する情念の物語を、実際に体験することをお勧めする。

脚本・嶽本あゆ美 演出・高橋正憲 主題歌・山崎ハコ
椿組「まっくらやみ・女の筑豊(やま)」
新宿・シアター・トップスにて、2月19日(日)まで




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