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「ささみとブロッコリー」というクリシェについて

「白米も食べるんですね!炭水化物なのに!」
付き合いの浅い同僚や、取引先と食事に行くとよく投げかけれる言葉。

そして必ずと言っていいほど後に続く質問が、
「やっぱり、普段はささみとかブロッコリーしか食べないんですか?」

ボディビルダーにとっては何度聞かれたかわからない、擦り散らかされたこの質問。
もちろん質問者に悪気がないこともわかってる。

当初は、真面目に「実際は、時期に応じて豚や牛、卵や魚も食べるんですよ。」だとか「白米は筋肉にとってのエネルギーなので、、、云云かんぬん」とか説明していたのだが、あちらもあくまで沈黙しのぎのための質問だったようで、話すうちに徐々に微分積分に戸惑う学生みたいな表情になってくることがほとんどなので、最近は「まあ大体そんな感じです!(笑顔)」という省エネ自動応答モードが僕の会食とランチタイムを支えてくれている。

正直、現在周りのボディビルダーたちを見ていても、ささみとブロッコリーという食事内容を励行している人には出会ったことがなく、むしろ絶滅危惧種の類でなのではないかと思う。

ところでこの「ささみとブロッコリー」というクリシェはいつどこで生まれたのだろうか。そしてどのようにしてボディビルダーの代名詞かのように世間一般に浸透していったのだろうか。また、海外でも同じようにこの使い古されたクリシェは機能しているのか。
以前はこの質問に晒されすぎたせいで「ささみとブロッコリー」を広めたどこぞのボディビルダーに対して情怒の念さえ覚えたこともあるが、今となってはそんな感情も風化し、もはや会ってお話をお聞きしたいと思う次第だ。

上記疑問についてインターネット、書籍、LLMを駆使して調べてみたものの、出自や経緯について、目新しさのあるデータは見当たらなかった。

だから僕は持ち得る情報から想像力を働かせて個人的に仮説を立ててみた。面白半分で読み流してもらえればうれしい。仮説は以下。

仮説:”ボディビルダーはみんなわざと「ささみとブロッコリー」という脳死回答をしていたのかもしれない”
少し長くなるけど、以下に考察を書き下したい。

まず、人間というのは理解ができないものに対して、嫌悪感を抱き、否定してしまうものだ。”種”という視点から異なる種に対して警戒心を抱くのは、その種の長い歴史の中から得た習性であり、遺伝生物学的にも長きにわたって説かれ続けていることである。
しかしながら、相手が同じ種であり、自らと近いレベルの思考能力を持つにもかかわらず理解不能な価値観を持っている事による、「自らへの不安及びストレス」を外部要因によるものだとすることで自らを納得させるという行為は、人間が複雑化した概念を認知できるように変化してきたからこその反応である。責めるべきことではない。ということを前提に置きたい。

長年この競技を続けていると、なかなか自分を客観視する機会もなくなってしまうが、そもそも、ボディビルダーというのは世間から見れば奇怪な存在である。
当の本人からすれば、一つの目標に向かって長期的な計画を立て、鳥の目と蟻の目を駆使しながら、大方針に基づいて現在のコンディションに対して局所的な判断をしていくことで、自らの身体を理想的な造形へと導いていくというプロセスを行っているだけなのであるが、はたから見れば、ある時は額に血管を走らせながら重いバーベルを持ち上げて自らの身体にダメージを与え、ある時はぴちぴちのタンクトップで鏡の前を占領して自らの筋肉を恍惚な表情で眺め、ある時は塩ゆでしたささみとブロッコリーをむさぼる(というイメージが先行している)ボディビルダーの行動及び判断の指標がわからない。そして「理解ができなくてなんか居心地が悪い」ので、「自分達とは違う何か異質なもの」という烙印を押してしまう。し、それが最もコストがかからない方法だと思う。この点に関しては、言語を用いて自己表現をする能力が平均に比べて比較的低い人が多いボディビルダー側にも原因はある。僕も例外ではない。

ここで一度ボディビルダー側の視点に戻る。ボディビルダーからすれば、ただでさえ世間一般とは乖離した判断軸・価値観に基づいて日々の生活を送るので、当然世間からは”違い”に関する興味・関心に基づいた質問が発生する。特に”食”はだれしもにとって共通且つ身近な話題である為、「いつ何を食べるのか」という質問が、この謎に包まれた個体群に投げかけられることは容易に想像ができる。これに丁寧に答えようにも、言語化能力の低さ、そもそもの人間の身体の複雑さに起因するボディビルディングプロセスの複雑性(しかもプロセスに正解はなく千差万別)、プロセスを理解できたとしても根底にある価値観を理解できない等のイシューをクリアすることは非常に難易度が高い。両者にとって相互理解は非常にコストがかかることである。

この世間との出口の見えないやり取りに疲弊し、一人のボディビルダーがある日「毎日塩茹でしたささみとブロッコリーばかり食べている。」という脳筋らしさ満載の回答を繰り出したとする。すると、世間としてもここまで極端な回答をされると、理解ができない理由を”自分達とはそもそも何か根底にあるものが違う。会話が成り立たなそうな人だ。”と理解ができない理由を自らに納得させやすい。ボディビルダーにとってもこの回答の使い勝手が思いのほか良く、且つその回答自体もどのボディビルダーにとっても大きく否定するほどのものではないことで、世間との距離をとる常套句としてボディビルダー側に浸透していったのではないだろうか。そして1990年代のマジョリティを正義に掲げるメディアでこれらのボディビルダーの食卓事情を面白おかしく取り上げた風潮も相まって「ボディビルダーはささみとブロッコリーばかり食べている=脳筋」というイメージができあがり、これが世間とボディビルダーに適切な距離感を作り出し、ある意味でボディビルダーの精神に平穏をもたらすきっかけとなったのではないかと考える。

これにより、”自分たち(ボディビルダー)だけが美学を理解し合えれば良いという、自らを客観視することを拒否するボディビルダー達の閉じた価値感への傾倒”と”「異質な人たち」というレッテルを貼り、その集団と心理的距離を取ることで理解できないストレスから解放される”という両者の境界線が出来上がり、現在のSNSの勃興とともに再燃した国内フィットネスブームまでの約20年の間、ボディビルダーは一時的に世間(日本国内に限る)から離れ、影を潜めたと思料する。

世間との相互理解に苦しむボディビルダー自らが世間との対話を諦め、精神の平穏を願って作り出した常套句こそが「ささみとブロッコリー」だったと考える。

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