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バブリーOLはいつ消えた?〈あとがき〉

まえがきと他の回はこちら

肩パットに金ボタンジャケットのバブリーOLこと、90年代前半女子。
彼女たちはいつ消えたのか?
ファッション雑誌「JJ」を通して、5回にわたり考察してきました。
改めて、検証結果をおさらいです。

バブリーOLは
1994年から95年にかけて徐々に姿を消し、
1996年にはほぼ消滅していた。

バブリーOLはいつ消えた?【検証結果】

あとがきでは、1992~1996年を振り返りつつ
「バブリーOLは、どのようにして消えたのか?」
のまとめをしたいと思います。


1992-96年振り返り、まとめ

1992年1993年

女子たちはまだ、バブリーの装いでした。
いっぽう、上司や先輩の評判を最優先した通勤コーデを選ぶような、窮屈な傾向もあり。
(通勤コーデに対して管理職男性のコメントが載っていたり、採点されたりと、現代では考えられないような記事もあり)

女子大生の頃バブル全盛期を謳歌してきた、この世代の女子たち。
社会人になり、すっかりおとなしくなっていたのがこの時期でした。
大人たちの側にそうするほどの力があった、
「前半女子」たちが社会に庇護されていた、
そのようなことの裏返しでしょう。
同時に、バブリーファッションは勢いをなくしました。

いっぽうストリートでは、
1993年頃、ギャルのはしりのようなコーデがみられました。
担い手は、1972,73年生まれの初期ロスジェネでした。

1994年

この頃から、OLの通勤コーデが二極化しました。

それまでの、
寿退社前提の女性らしさ可愛さを強調したスーツ(一般職タイプ)と
「普通に仕事する感じ」のシンプルなスーツ
(総合職タイプ)。

(JJ誌面では一般職向け、総合職向けと明言されてはいません。
あくまで私の見立てです)

それまでJJには、一般職向けのコーデしかありませんでした。
しかしこの頃、就職氷河期で一般職採用が減少しました。
そして総合職など、結婚後も働き続けることが当たり前になりました。
そのことが、通勤コーデの二極化に影響したと思われます。

一般職タイプにはバブリーOLの雰囲気が残っていましたが、総合職タイプにバブリーの面影は残っていませんでした。

1995年

海外のスーパーモデルなどの影響を受けたコーデがみられるようになります。「後半女子」の原形ともいえます。
担い手はロスジェネ(1970年代半ば以降生まれ)です。

「後半女子」は93年頃からみられた、元祖ギャルファッションの影響を受けたとも考えられます。
しかし、その起源は断定が難しいです。

(ギャルファッションは1994年頃から2000年代にかけ長く流行し、社会現象になりました)

国内では就職氷河期が続き、
阪神大震災、地下鉄サリン事件によりそれまでの「安全神話」が崩壊、混迷の時代に入っていました。

1996年

街の装いは完全に「後半」に入れ替わりました。
「後半女子」のシルエットを重視したコンパクトな装いは、当時雑誌のファッション用語では「モード」といわれていました。
素材、ブランドの上質さよりも、シルエットの良さをおしゃれとする流れは、不景気の中にあって理にかなっていました。

そして「社会人になったらスーツ」などの装いの規範が薄れ、
大学生、社会人、ひいては年齢にもこだわらない装いが一般的になります。

これは、OLなどに「らしさ」を強制し、その引き換えとして身分を保証し庇護していた社会に、その力がなくなったから……
私はそんな風に、考えています。


このようにして、「90年代前半女子」は消えていきました。
その後の彼女たちはそれぞれの場所で、
時代に、そして自分に合った装いを楽しんでいるはずです。


書ききれなかったこと

この連載で書ききれなかったことがいくつかあります。ここで少しだけ。

髪型・メイクの変化

90年代前半から後半にかけ、髪型とメイクも大きな変化をとげました。

最も大きい変化は、ヘアカラーリングと眉メイクの普及です。
90年代前半はどちらも「不良のやること」でした。

私も茶髪、細眉にして、両親から特大ブーイングを浴びたものです。
そんな女子が、全国に何百万人もいたことでしょう。
現代の女子たちの洗練されたヘアメイクは、
その頃の女子たちが大人と戦い、勝ち取ってきたものでもあるのです。
(おおげさですかね)

ぜひもっと詳しく書きたかったのですが、
また別の機会にと思います。

90年代後半も続いたブランド信仰

90年代前半の、シャネルやフェラガモなどの
「これ見よがし」なブランド信仰。
後半は「これ見よがし」感は鳴りをひそめました。
といってもブランド信仰は、しばらくは続きました。

ごくシンプルな装いに、LOUIS VUITTONルイヴィトンPRADAプラダGUCCIグッチ などのバッグを「一点豪華主義」的にさりげなく持つのが、主流でした。
(実際、全然さりげなくはないんですが)

若者があまりわかりやすいブランド品を持たなくなったな、と私が感じたのは、もっとずっと後のことです。
2010年代くらいでしょうか。
(あくまで個人的な実感)

雑誌モデルの台頭

私が今回参考にした90年代前半のJJでは、
モデルはただ洋服を見せることに徹する、
通販誌のモデルのような、地味な存在でした。
それが90年代後半、脚光を浴びるようになりました。

JJは梅宮アンナさん、梨花りんかさん、
競合誌Cancamキャンキャンは藤原紀香さん、他多数……
各誌のモデルに人気が集まり、
後の「エビちゃんブーム」のような現象につながります。

ブレイクしたモデル達、そして彼女たちのその後。
同年代の方とだったら、話し出すと止まらないネタであります。
ぜひ改めてスピンオフで、ゆるーく書きたいです。


おわりに

「90年代前半と後半とで、どうしてこんなに変わったのか?」
という疑問から派生した、今回のお話。
生きるのに必要のないどうでもいいことではあるのですが、
突き詰めるとなかなか面白かったです。

〈まえがき〉で私の夫がその疑問に、
「不景気になったから」
「安室ちゃんの影響」
と言いました。
これは当たっていたのでしょうか。

「不景気」は、かなり当たっていたと思います。
特に、就職氷河期の影響は如実でした。
ファッション誌にそんなことは、もちろん書いていないのですが
その影響としか思えないような変化があちこちにあり、
あれこれ考えながら、古雑誌をめくりました。

「安室ちゃん」の影響ですが
(後半への)流れを作った人か?というと、違うのではと思いました。
彼女のブレイク期は、1996年以降なので……
でも、ヤンキー化していたギャル文化が洗練され市民権を得たのは、安室ちゃんの功績に違いありません。
特にヘアメイクの進化については、彼女の影響は計り知れないものがあります。


2020年代の現在は、90年代後半と流行りは違いますが
「シルエットでおしゃれに見せる」
「年齢、社会的身分にとらわれない」
という基本的な考え方は、変わっていないのではないでしょうか。

とても理にかなっていて、
誰もが気軽におしゃれを楽しめる考え方です。
これはずっと変わらないでほしいな、と私は思います。


(おわり)


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