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バブリーOLはいつ消えた?#4〈1995年〉海外大好き?90年代後半女子

まえがきと他の回はこちら

今回の参考資料は「JJジェイジェイ」1995年3月号。
※下記リンクから、表紙が見られます


おしゃれはスーパーモデルに学べ

巻頭はすっかりおなじみ、スーパーモデルのスナップ。

チェックのマイクロミニをはくモデル多数。
安室ちゃんがかつて、結婚の記者会見時にはいていたようなスカートです。
ブーツや黒タイツなどを合わせて、清潔感もありキュートな雰囲気。

「日本でも人気のチェックミニ」
「スーパーモデルは一昨年からはいていたマイクロミニ」
と解説。この頃には既に、定着したものだったのでしょうか。
私はこの調査ではじめて、このスタイルに出会いました。


アンナ・カジュアル大研究

梅宮アンナさんはこの頃、JJの看板モデルとなっていました。
私服を公開するアンナさん、ある衝撃的な一言を発します。

「スーツって持ってないんです。できあがったものをそのまま買うのってつまらないでしょ」

1992年からJJを追ってきた私からすると、これは事件です。

これまで、通勤、プライベート、
あらゆる場面で、スーツスタイルを推奨してきたJJ。
それがついに自らスーツを否定したのです。
(あくまで、プライベートで着るものとしてと思われますが)
梅宮アンナさんの口から語られてはいますが、これはJJの公式見解と言っていいでしょう。

「職場の花」OLが衰退する中で、
過剰な「きちんと」を強いるスーツに、違和感が出てきた。
もっと実用的に、でもおしゃれ感はしっかりキープしたい。

アンナさんは、JJが目指す新しいスタイルの象徴だったのでしょう。


スニーカーカジュアル

脱スーツ宣言の次は、スニーカー。
カジュアル化が止まらないJJです。

adidas、CONVERSE、New Balanceなど
今も愛されているブランドのスニーカーが、登場します。

「海外誌をヒントに探ります。スニーカーカジュアル、これからの傾向」
と題したページでは、
カジュアルなテイストの花柄ワンピース、
ラフな雰囲気のロングスカートなど、
ごくカジュアルなスカートスタイルに、スニーカーを合わせています。

2020年代の現在では、ド定番のコーデ。
「これからの傾向」としては、あまりにもいい線行きすぎています。

このページを作った編集者も、これが一過性で流行ることまでは想像できたでしょうが、
まさか30年近くも生き残るとは、思いもしなかったことでしょう。

この急速なカジュアル化を、
JJはどう説明するのか……?

すると、あるワードを見つけました。
それは「国際化」。

こんなことが書いてあります。
「日本の女のコ達のカジュアル観を変えたのが、何かと話題に上ることも多いスーパーモデル。彼女達をきっかけに日本の女のコのファッションの国際化も進んだよう」

カジュアル化は、スーパーモデルの影響。
女のコ達の意識の、国際化によるもの。
だそうです!


10代のモノトーン感覚に脱帽

「成城VS.慶應ティーンズ・カジュアル比較」
というサブタイトル。

「『あのコってオシャレだよね』っていう言葉を頼りにリーダーたちを追っかけていくと、いつかしら慶應と成城にいきつきます」
だそうで、
慶應女子高校と成城学園高校在学中の、読者モデルが登場します。

高校生ったって慶應と成城だからな、
その辺のギャルじゃねぇんだぞ、
というJJの意地が感じられます。

アノ人が、読者モデルで登場!

慶應も成城も、海外を手本としたファッション。

慶應の読モは、アメリカンファッション。
長めトップス、カルソン(レギンス)スタイルで、94年に出てきた女子大生と似た雰囲気です。

いっぽう成城は、フレンチファッション。
こちらは……
ミニスカートとブーツスタイルです。

ボトムスだけだとほぼ「90年代後半女子」(タイトル画像参照)と同じ。

黒タイツで肌見せをおさえたり、使う色数をおさえたりと、節度はありつつ
10代の女子らしい元気さかわいさもあり。
「成城ガールのモノトーンミニスタイルは決してHじゃない」
とうたわれており、ギャルとの差別化が意識されています。

ちなみにこの成城読者モデルのひとりが、
女優の木村佳乃よしのさん。
後の有名女優の「いいとこのお嬢さん」オーラは絶大で、さすがにギャル的雰囲気は全くないのですが。

でもついに出てきました、90年代後半女子。


愛されるOLスタイル虎の巻

新年度に向け「OLスタイル虎の巻」は健在。
しかしスーツのデザインは、
清涼感を重視したシンプルなものが増えています。
マニッシュなパンツスーツも紹介。

ハイブランドの紹介も相変わらずありますが
「ギラギラしないブランドの取り入れ方」
という言葉もあり、
これ見よがしのブランド自慢を敬遠する向きが見られます。

とはいえ紹介されてるのは
エルメスのケリーバッグや、カルティエの時計……
めちゃくちゃ高価じゃないかい!
でもいいんです。これ見よがしでなければ。


まとめ

「90年代後半女子」はどこから来た?

スーツスタイルが否定され
90年代後半女子の象徴・ミニスカートとブーツスタイルが登場し
現代と近いカジュアルコーデすら見られ…と、
大きく動きが見られた95年でした。

ここまでの変化をもたらしたのが、
はたしてギャルなのか?
JJが言うように、
スーパーモデル(海外の影響)なのか?
私が再三言っているように、
「OLの衰退」によるものなのか?

なかなか判断が難しいところです。
全部が、少しずつ影響しているのかもしれません。

1995年1~3月の記憶

1995年の1月から3月は、多くの日本人にとって忘れられない3か月間です。
1月17日、阪神淡路大震災が発生。
3月20日、地下鉄サリン事件が発生。
未曾有の災害とテロ事件がこの3か月間に、一気に起こったのです。

今回取り上げたJJのこの号は、1995年3月号。
おそらく、1995年1月23日の発売です。
これらの影響を受けていることは、考えにくいでしょう。

JJにもカルチャー関連の記事があります。
今回の号で、興味深いものがありました。
「日本で有名でも海外でヒットしてるとは限らない  このアーチストが日本で売れる理由」
という記事です。

タイトルとは逆パターンの
「海外では売れるが日本で売れないもの」
も合わせて解説しています。

案内役のDJの人いわく
「海外では人気のグランジやギャングスタラップなどはマイナーな音楽ですが、日本は平和だからリアルじゃないんでしょうね」
「ギャングスタラップだって明日、道端で殺されるかもしれない危機感を感じている黒人達からでた音楽だけど、日本じゃよっぽどアンラッキーでないとそんなことないですよね」

それまでの日本の雰囲気を、よく表したコメントです。
理不尽な災いは、自分には決して起こらないと信じられていて。
目上の人や大きな流れに従うことで、誰でも人並みの幸せを手にできる、というような、
幸福だけど、イージーな感じがただよっていた日本。

それが大きく崩れはじめたのが、1995年はじまりの3か月間でした。
世の中の空気が大きく変わったのを、10代だった私もよく覚えています。

「海外への憧れ」を強く感じさせた今回の号でしたが、
日本が悪い意味で「海外並み」に一歩近づいたのも、この頃でした。

次回予告

いきなり社会派っぽくなってしまいましたが
次回、1996年。
既に消滅した感ありのバブリーOLですが、
完全に消えるまで見届けていただければ、幸いでございます。

ではまた。


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