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シェアハウス・ムラヤ 第7話(最終話)

「よう、ゆりえちゃん」
ダイニングに、叔父の克也かつやがいる。ゆりえは、あら、お久しぶり、と驚きもせず応じる。
「母ちゃん、元気になってよかったよなぁ」
彩香あやかちゃんのこと?」
克也はニコニコして頷いた。
「彩香ちゃんとてっちゃん、お部屋にいるから呼ぼうか?」
ゆりえが聞くと克也は、いやいや、と手を振って玄関に向かった。
「俺も、女房待たせてっからさ。もう行かねぇと。ゆりえちゃんが頑張ってくれててさ、安心だよ。まぁ、よろしくな」
玄関で見送るゆりえに、克也は聞いた。「あぁ、山ちゃんはいるかなぁ」
「お家にいると思うわよ。行ってみたら」

そこでゆりえは目を覚ました。当然、夢だ。

ゆりえはキッチンへ向かい簡単な朝食をすませた。
その後掃き掃除をしようと玄関に出た。すると隣の玄関扉を開け、山村やまむらが顔を出した。

かっちゃんが、夢に出てきたんだよ」
山村はおはよう、も言わずに、ゆりえに向かって報告した。ゆりえは、えっ、と山村の顔を見た。
「私の所にも、来たのよ」
ゆりえは思わず、微笑んだ。山村もうれしそうに笑った。

「調子に乗って、おねえちゃんのこと困らせてんじゃねぇぞ、って怒られたよ」
山村は恥ずかしそうに言った。おねえちゃん、とは弥生やよいのことに違いない。この年代の男性は、お気に入りの女性のことをそんな風に言う。
「本当よ」ゆりえは吹き出した。「さすが克也叔父さんだわ」
「あいつら、酔っぱらって訳わからなくなって、悪ノリしちまってさ。弥生ちゃんに、謝っておいてくれよ」
「ご自分で謝ってください」ゆりえは笑って言った。「でも怒っていないから大丈夫よ。今度は拓磨たくまくんを連れて行くって言ってたわ」
山村はほっとしたように、何度か頷いた。

「克ちゃん、元気そうだったな。女房が待ってる、なんてうれしそうに、さっさと帰っちまった」
「私にも、言ってた」
克ちゃん、一緒になれたんだな。山村は空を見上げてつぶやいた。


「これ、はるからお土産」
拓磨が、ガサガサと固いビニール袋から、生麵の入った袋を2つ取り出した。
盛岡冷麵もりおかれいめんだぁ」
弥生が弾んだ声を出した。
「皆さんに、って。一人旅行ってたんだ、あいつ」

「一人旅なんだね。一緒に行かなかったの」
彩香が聞いた。
「そう。自由人だからね。『いま盛岡』ってLINEが送られてきて知る、みたいな。俺仕事だったし」

拓磨は、冷麺の外袋を眺めながら言った。
「スープは冷蔵庫でしっかり冷やして、麺も茹でた後、氷水でキンキンに冷やすと美味いって。それで、この写真の通り」拓磨は、外袋の写真を指さした。「チャーシューと、スイカとかキュウリをのせるんだって。あとゆで卵か」

とりあえず冷やしておこう、と、拓磨は冷蔵庫を開けた。
「あっ」チルドルームを覗いて、拓磨は困った声を出した。「ゆりえさん。この焼きそば、俺が入居した時のやつ?」
ゆりえは、あっと声を上げた。「まだ残ってた!?食べようと思って忘れてたわ。もう、賞味期限切れてるよね…」
「先月だね」拓磨は焼きそばの袋を取り出して言った。「カビとかは生えてないけど」
「食べるのはやめたほうがいいね。捨てましょう」

うちには合わない数だったもん、仕方ないよね、と彩香がつぶやいた。


「彩香。これを見てほしい」
しばらくして、一度2階の自室に戻った弥生が、2枚綴りのA4の書類を持ってきて渡した。いつになく改まった顔をしている。
渡された書類を見た彩香は、驚いて弥生の顔を見た。「弥生さん、これって」
「うちの会社の求人よ」
「私に応募、できるの?」
彩香は大きな目を丸くして、弥生を見つめた。
「うん、この部署の室長が、私の同期でね」弥生も彩香をまっすぐに見て言った。「正直言うと、彩香のことを話した。大体だけど、彩香のスキルや経験もね。それで、こういう待遇で結構ならぜひ面接を、って話なの」

「受けてみたい…」彩香は書類をめくりながら、食い入るように文面を読んでいた。「この仕事内容なら、なんとか今までのこと生かせそうだし。あと、言っていい?何より月給がありがたい」
彩香の言葉に弥生は、複雑な表情で頷いた。

「弥生さん。ありがとう。面接がんばるね」
彩香の目は、少し潤んでいた。「こんないい待遇、きっと弥生さんが交渉してくれたんでしょう」
「交渉だなんて」弥生は首を振った。「それにこれ、そんなにいい待遇ではないよ。本当は彩香には、最低限、これくらいが必要なんだよ」


その夜、ゆりえが1階で寝る準備をしていると、弥生が降りてきて言った。
「彩香に、仕事を紹介したよ。面接受けてくれるみたい」
ゆりえは、話聞いていたわ、と微笑んで答えた。
「彩香なら、絶対採用になる。私のコネがあるからとかじゃないよ」
弥生は自分の言葉を確かめるように、何度か頷いた。

「でもさ、さっきの彩香」
弥生はキッチンで冷蔵庫から何か取り出そうと扉を開けて、何も出さずに、ぱたんと閉めた。
「月給で喜ぶ、っておかしいよね。子ども1人、育てているのに。20万もないんだよ。新卒より全然、少ないんだよ」
今度は、弥生の目が潤んでいた。私、もっと頑張らないと。つぶやく弥生を、ゆりえは黙って見つめていた。


次の夜、弥生と拓磨は、スナック「やすらぎ」へ行った。
ゆりえは自室で、夜中に帰ってきた2人の声を聞いた。何を話しているかはわからなかったが、がやがやと楽しそうだった。

翌日の朝、1階に降りてきた拓磨とゆりえは、顔を合わせた。
「昨日、『やすらぎ』どうだった?」
「あー」拓磨はふっと笑った。「異文化交流だったよ。俺けっこう、言いたいこと言っちゃった」

ゆりえは微笑んだ。「弥生ちゃんのこと、守ってくれたの?」
「守ってはいないけど」拓磨は軽く首を振った。「前回弥生さん、えらいセクハラ発言受けてたんだってね。俺知らなかったけど。でそれをママさんが叱って、山村さんも何か知らねぇけどやたら自制して叱って、で他のじいさん達も、一応最初は自制して」

よかった、とゆりえが安心した声を出すと、拓磨は、いやいやいや、とおかしそうに否定した。
「最初は自制してたけどさ、無理なんだよ。もう息するようにセクハラ発言するから、彼ら。何か言っては、あっこれはセクハラになるな、とか、訴えられたら負けるな、とか。それじゃ全然意味ねぇじゃんっていう。そういう所を俺はさ、ちゃんと言っておいたよ。ダメですよ、意味ないですよって」
拓磨はおかしくて仕方なさそうに言ってから、少し真顔になった。

「でもさ、何なのかね。あれは。弥生さん、独身ってだけでさ。あれだけ言われちゃうの」
拓磨はゆりえに、ねぇ、と同意を求めた。ゆりえは、微笑んで首をかしげた。
「だって弥生さんてさ、俺なんかが言うのもあれだけど、いつもきれいにしててさ、じいさんにも子どもにもやたらもてて、彩香さんや俺のこともいつも助けてくれて、そういう弥生さんじゃん。なんであんな言われ方しないといけないのか、正直わからない」

「独身の人って、好きなこと言っていい枠なのよ」ゆりえはつぶやいた。「うまく言えないけど。私もそういう扱いだったな。ずっと」
「ふーん」拓磨は頷いて、ゆりえをまっすぐに見た。「ゆりえさんも、いろいろ苦労してきたんだね」

「じゃあ俺みたいな同性愛者は、逆にアンタッチャブル枠だな」拓磨は面白そうに言った。「触れちゃいけない。腫れ物枠」
ゆりえは何も言えずに、拓磨を見つめた。
「そのカテゴライズに入れられちゃうと、本人の人格は無視だよ。そこは、独身枠と同じだね」

クソだな、と拓磨は言った。裏腹に、なぜか楽しそうな口調で。
「でも俺、ママさんに気に入られたよ。息子になれ、とか言われた。スナック楽しいかも。また行くわ」


その日の昼、拓磨ははるの土産の、冷麺を作った。
よく冷えた丼に、透き通った麺とスープが入っている。中には、市販のチャーシューと半分に切ったゆで卵、輪切りしたキュウリ、三角に切られたスイカがのせられている。小鉢に、キムチが入っていた。

「これ、どうやって食べるの?」
テーブルに並べられた丼を見て、彩香が聞いた。
「最初はそのまま食べて、後から味変じゃないけど、徐々にキムチを足していくといいって。店でも、最初からキムチが入っているものより、別で添えてある方が調節できていいって、はるが言ってた」

「麺、固い!コシがあるとかいうレベルじゃないね」麺を一口すすった彩香が、驚きの声をあげた。「でも美味しい」
「入ってるものが面白いね。スイカなんて」
ゆりえは、細い三角に切られたスイカをつまみあげた。
「そうだよね。俺も、袋にかいてあるから入れたけど、半信半疑」
拓磨もつまみあげて、一口食べた。「美味い。意外としっくりきてる」
「いろいろ具が入っているから、大変だったでしょ」
隣県出身の弥生は食べたことがあるようで、慣れた調子で美味しそうに麺をすすっている。
「そうだね。ゆで卵作るの忘れてて、あせったよ。なかなか冷めないし」

「ママ、おれも一口食べたい」
鉄平てっぺいが言った。固い麵に牛骨スープなので、子どもの口には合わないだろうと、彩香は鉄平用に別のうどんを用意していたのだ。彩香は小鉢に、自分の冷麺を分けてやり、鉄平は早速それをすすった。
「麺が固くてゴムみたい」
鉄平は微妙な表情をした。でもスープはうまい、と鉄平は全部飲みほした。


「あー美味しかった。はるちゃんにお礼言っておいてね」
弥生が満足そうに言った。
「気を遣ってくれてね。ありがとうね」
ゆりえが言った。

拓磨は笑顔で頷いて、キッチンで洗い物を始めた。
彩香がいつものように、好奇心旺盛な顔で聞く。
「2人で旅行行ったことはないの」
「あるよ。ここ入居する前、大阪行ったな」拓磨は淡々と答えた。「旅行とか意外と、何の抵抗もなく行けるんだよ。だって俺らくらいの歳で、男同士の友達で旅行する人なんて、いくらでもいるから」

「知り合った時もさ、うちの物流センターに、はるが短期バイトで来て知り合ったんだけど。あいつはフリーのカメラマンだから、ときどきバイトで稼ぐんだ」
拓磨は皿と水の音をたてながら、話した。
「で、仲良くなるのに、何の苦労もないんだよね。一緒に昼飯食ってたって、仕事の後飲みに行ったって、誰も何も言わないよね。あぁ気が合って仲良くなったんだね、くらいで。これが異性だと、狙ってるとか言われて逆に面倒なんだろうね」
拓磨は飄々と楽しそうに言い、まぁ、その先が簡単ではないけどね、と苦笑いをした。

「はるちゃん、何歳なの」
彩香が聞いた。拓磨は、2個上、来年30だって、と答えた。
「若いねぇ。2人とも」弥生がうれしそうに微笑んだ。「いつか、一緒に暮らせるといいね」
「そうだね」
拓磨は少し照れて下を向いたが、うれしそうに笑っていた。まだわからないけどね、とつぶやきながら。

「いつか、子どもはほしいな」
拓磨は、皿洗いを終えて手を拭きながら、言った。
「必須でしょ、拓磨くんに子どもは。絶対いいパパになるもん」
彩香が言い、拓磨はうれしそうに笑った。
「いろんな方法があるからね。まだ何も、ちゃんと考えてはいないけど」

「ここで、皆で育てる?」
彩香が、思いついたように言った。
「えー、邪魔じゃない?私たち」
弥生の言葉に、彩香が首を振った。
「そんなことないよ、子どもが小さいうちは大変だもん。私、離乳食作ってあげる」
「じゃ私は、お昼寝の寝かしつけする」
ゆりえが言った。
未来を想像することは、楽しい。そんな気持ちで皆が、笑い合っていた。


2カ月後。
彩香は弥生と同じT社に入社し、弥生の勤務する湾岸地域の本社ではなく、山手線圏内のオフィスにある分室に配属された。弥生の同期が室長を務める部署だ。


ある日、ゆりえはタブレットでこんなネットニュースを見つけた。

IT大手T社が、現在派遣社員として雇用している社員全員の無期直接雇用を決定した。令和6年度より実施の見込み。待遇は月給制、賞与年2回(1か月)など、従来の派遣社員に対するものから大幅に改善すると発表。

T社に関するネットニュース(2023年10月X日)

「弥生ちゃん、これ」
驚いてゆりえが弥生に見せると、弥生は力強く頷いてみせた。
「うん、小さな第一歩」

「まだまだだよ。無期雇用だけど、正社員並みになるまで、もう少し頑張る。それを達成できたら、会社を辞めるの。ここ入るとき、言ってたでしょ」
やりたいこと見つけたの、と弥生は言った。
「以前の彩香みたいな人たちをね、助けるための仕事をしたいの」
いろんなやり方があるから、まだちゃんと決めてはいないけどね。弥生は、ゆりえを見つめて微笑んだ。


休日の朝。豪川たけかわ土手へのランニングから帰ってきた拓磨が玄関先で、山村と立ち話をしている。

「山村さんと?また『やすらぎ』に行く相談でもしていたの」
話を終えて戻った拓磨に、ゆりえが聞いた。
それもあるけど、と拓磨は、何気ない調子で答えた。「山村さんにカミングアウトしてた」

「マジで!?」後ろにいた弥生が、驚いて言った。「なんて言ったのよ」
「俺が付き合ってるの、男ですよって。女はいないのかとか、朝からうるさいから」
「山村さん、なんて?」
ゆりえは気が気でない気持ちで聞いた。

「こうやってた」拓磨はまるで欧米人のように、顔の横で小さく万歳して、目を見開いて首を振ってみせた。
「今の若いやつはいろいろあるよな、俺にはよくわかんねぇけど、って」
ゆりえと弥生は呆気にとられて、頷いた。
「そっかぁ」
「でもそれ、ほぼ承認だよね」
弥生が言う。
そう思う?と言う拓磨に、弥生は強く頷いてみせた。
「否定してないもん。あの歳の人にも、ちゃんと理解できてるってことだよ。すごいよ」

「山村さんって、いくつなんだろう」
ふいに拓磨が聞いた。ゆりえは、さぁ、と首を傾げて弥生を見た。
「えーと、昭和16年生まれじゃないかな。いくつだろう」弥生は言った。「この前、俺は開戦の年に生まれたんだ、って言ってた。『やすらぎ』で」

「そっか」拓磨はしばらく黙って、目の前をじっと見ていた。「ばーちゃん、たしか17年生まれだな。昭和」
弥生は目を見開いて、拓磨とゆりえを順番に見た。2人もそれに反応して、笑い合った。


開けた窓から、秋らしい風が吹いてきた。
2階から鉄平が、拓磨くーん、と叫びながら階段を駆け降りてくる。いつもの鬼ごっこが始まり、シェアハウスの朝は途端に賑やかになった。

【第7話(最終話) 了】

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