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三種の神器と武道

今年のお正月に地元の神社を訪れました。その境内の奥深くには、神様が祀られています。神様が祀られている場所で、鈍く光るものが目に留まりました。それは鏡でした。「なぜここに鏡があるのだろう?」とふと思った時、もしかすると神という存在は自分自身を指しているのかもしれないという考えに至りました。そして、それは自分と相対する相手も指しているじゃないだろうか?
相手は自分の鏡であり、鏡に映った相手は自分自身です。相手から感じる感情は、実際には自分への感情です。すべては自分の内にあります。この考えが心に浮かびました。

この理解は三種の神器、即ち、
鏡、剣、勾玉の象徴に繋がります。この三種の神器はご存知の通り、日本の天皇陛下が代々受け継いできたものです。
そしてなぜそれが受け継がれてきたのか?
これについて私なりに僭越ながら思いを巡らせました。
そして、これは武道の「心・技・体」という概念に通じるものがあると感じました。


鏡は私たち自身を映し出します。それは魂や心です。なぜならば、神社の境内で見つけた鏡のように、私たちがお祈りする際、実は神様は私たち自身を映し出しています。このことから、私たちが感じるすべては自分自身であり、目の前にいる人もまた自分自身として認識されるのです。これは、「隣人を愛しなさい」というキリストの教えともつながります。目の前の人が神であり、私自身であるということは、自分を愛することにもつながるのです。
愛することは心や魂を光輝かせます。


技術と知恵の象徴です。なぜならば、人類が二足歩行を始めた時、手が解放され、最初に使った道具はおそらく折れた木の棒だったでしょう。剣はこのようにして手に持たれるようになり、手は技術と知恵の象徴となりました。武道では、技術は習得し、磨き続けるものです。剣は、日々の生活で直面する課題を解決するために必要な知恵や判断力の重要性を示しています。技術は現代の発展を支えてる大きな力です。

勾玉
生命力とエネルギーの源です。なぜならば勾玉の形は胎児の形と似ており、成長するのに最適な形です。勾玉は自然界の多くの形、例えば波や台風の形にも見られます。勾玉を二つ合わせると、陰陽のマークにも見えます。これは、生命のエネルギー、成長と変化の象徴です。私たちの生命は、外部からのさまざまな影響を受け、それらをエネルギーに変換して成長し続けます。

このように
日本の天皇が代々受け継いできた三種の神器は、人が永続的に繁栄するための教えと指針と受け継がれてきたんじゃないだろうか?
武道においても、これらの神器は異なる形で受け継がれている。
アルゼンチンタンゴにおいても、自分と相手、踊る技術とそして相手と循環するエネルギーがとても大切です。

明日もタンゴを踊ろう!


Abrazo GYU

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