中央アルプスに初夏の天の川_中

インサイド・アウト 第2話 樹海からの招待状(2)

 物心ついたときから、わたしは何となく気がついていた。自分が可愛くないということに。周囲の大人の反応は、子供の目から見ても露骨だった。

 祖母だけはわたしのことを可愛いと言ってくれた。でも、それは自分の孫だからであって、美醜のことを言っているのではないのはわかっていた。学校に通うようになり、周囲と比較できるようになって、自分が他の女の子たちと何が異なるのかをはっきりと認識するようになった。それは《女らしさ》だった。わたしは女らしくなかった。

 十歳で初潮を迎えたことで、わたしはさらに絶望した。女としての自尊心はその時点ですでに皆無だったし、将来の可能性も諦めていたのに、肉体だけはいち早くメスになろうとする本能の図太さに、この上なく気持ち悪いものを感じたからだった。人間である以前に動物であるという残酷な事実を身を以て思い知らされたわたしは、十歳にしてこの世の非情な現実とひとりで立ち向かわなければならなかった。

 そんなわたしがさらに運命を呪うことになったのは、女であるというだけで父や祖父から家事全般を押し付けられたことだった。父の客人が来たときは、彼らの退屈な会話を黙って聞きながら、酒のお酌をしなければならなかった。会話に割り込むことも、途中で席を立つことも許されなかった。少しでも父の意に反することをすると、客人が帰った後で父から理不尽な怒鳴られ方をした。そのようなときは、わたしだけでなく母にまで被害が及んだ。やがて母からも邪険な扱いを受けるようになり、家の中にわたしを味方する者は誰一人いなくなっていた。

 おかげさまで、いつも何かに腹を立てるようになった。遺伝子に女らしさを微塵も残してくれなかった両親に対して。醜いものを見るような視線を露骨に投げかけてくる無神経な人たちに対して。世の中の理不尽さ。不公平さ。そして何よりも自分の無能さに、行き場のない怒りを感じ続けていた。そんなわたしの十代は、言うまでもなく心地良いものではなかった。アニメで観るような甘酸っぱい青春は、その片鱗すら姿を現してはくれなかった。

 そういうときは決まって「仕方ない」と考えるようにした。この言葉は便利だ。どんなに嫌なことがあっても、このおまじないを唱えることで気持ちを楽にすることができる。クラスでいじめの対象になったとき、三流大学しか合格しなかったとき、何とか入社できた会社がブラック企業だったとき、上司からセクハラを受けたとき、無断欠勤して解雇されたとき、両親から見放されたとき……。すべてを投げ出したくなったときでも、この「仕方ない」の一言で済ますことができた。嫌な出来事を素直に受け止め、反芻する思考を止めることができるのだ。もし『生きる上で便利な言葉ベスト3』を自分で選ぶとするなら、わたしは間違いなくこの言葉をエントリーするだろう。


 次から次へと思考が発散していたわたしを現実に引き戻したのは、スマートフォンの画面に偶然表示された一枚の写真だった。そこには、誰かが投稿した神秘的な森の写真が表示されていた。わたしはその美しさに息を飲んだ。

 無秩序でありながらも整然さを感じられる森の中の風景は、わたしが知っている森の風景とはかなり様子が異なっていた。コケで覆われた根が地面の至るところから突き出し、人間の侵入を阻んでいた。どんなに奥を見ても終わりの見えない木々の隙間から差し込む光は、神の救いの手のようにも見えた。

 《青木ヶ原樹海》——写真と共にそう記されていた。わたしはその名前を聞いたことがあった。自殺の名所として有名な場所だ。実際には観光地らしいが、わたしには悪名のインパクトの方が強すぎた。そんな陰鬱な印象しか持つことができないことに、少し罪悪感を覚えた。

 その写真を投稿した人物は『S』というハンドルネームだった。「苗字か名前の頭文字をとっているのだろうか?」と大して広がらない憶測をしながら、そのSという人物のプロフィールを表示する。年齢はわたしと同じ三十代のようだった。性別は男。それ以上の確かな情報はない。住んでいる地域も、恋人がいるかどうかも定かではなかった。

 次に、彼のこれまでの投稿内容をざっと眺めてみた。前向きなことを書いている日もあったが、無力感に満ち溢れ、世の中に対して憎しみしか抱いていないかのような投稿をする日もあった。内容の系統はわたしとそれほど変わらないかもしれない。ただわたしと異なるのは、負の感情に心が蝕まれそうになりながらも、それに抗おうとしている点だった。彼は物事の多面性を的確に分析し、光には影が、影には光が常に付いて回ることをよく理解していた。苦しみの裏には、必ず希望を見出していた。世の中の良くないニュースに対しても、あえて悪者の立ち場で考えた彼なりの見解が書かれていた。例えば、とある連続殺人犯のニュースに対して、彼はそれが決して他人事ではなく、条件さえ揃えば誰もが起こしうる事件なのだということを強調していた。わたしは、物事を一つの面でしか判断できない勧善懲悪的な投稿しかできないタイプはあまり好きではなかった。Sのように中立的な立場で物事を考え、しかもそれを堂々と発信できる人間は嫌いではない。

 わたしは、彼が投稿した樹海の写真の投稿を再び開き、深く考えずに例の「いいね!」ボタンを押した。それからわずかに酔いが回っていることも手伝い、その勢いに任せて〈美しい森ですね〉と一言コメントを書いた。

 Sという人物から直感的に感じられる神秘的なオーラに、わたしは必然的に心が惹かれていた。そこには具体的な理由はなかった。偶然知った人物に必然的に興味を抱く——そんな売れないシンガーソングライターの歌詞のようなセリフを思いついた自分を可笑しく思いながら、わたしは畳の上に再び横になり、彼から返事が来るのを待った。


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