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横浜 隠れた歴史を探す散歩

2021年の3月。関東でコロナの自粛期間が終わり、外出も少しずつ出来るようになった頃。

最初の外出先は横浜を選んだ。久しぶりのお出かけとあって、少し時間に余裕を持って家を出て,横浜駅を散策してみた。

古い港町の玄関口とも言うべき横浜駅には,その歴史をモチーフにした隠れたランドマークがそこここにちりばめられている。

駅の中央口改札を出ると,待ち合わせ場所としてよく使われているガス灯が目に飛び込んでくる。その日も大勢の人たちが小さなガス灯を象った待ち合わせ場所に集っていた。

横浜は日本で最初にガス灯が灯された街で、1872年には馬車道に最初のガス灯が灯されたと言う。世界で最初にロンドンでガス灯が灯されてから60年後のことだったそうだ。

現在横浜駅にあるガス灯をモチーフにした待ち合わせ場所には、小さな電灯が灯り,近くで見ると往時の雰囲気を醸し出している。


横浜駅のガス灯

ガス灯のすぐ脇には,横浜を舞台にした童謡「赤い靴」の女の子の小さな銅像がある。

あまりに小さくて見つけるのに一苦労するこの銅像,港で誰かが迎えに来るのを待っているかのような小さく愛らしく,また物憂げな銅像だ。


赤い靴の銅像

「赤い靴」の童謡に出て来る主人公には何人かモデルになったと言われる人たちがいるそうだ。その説の一つである女の子は,小さい時に母親を亡くし,アメリカ人のキリスト教伝道師夫妻に預けられることになった子供だそうだ。「赤い靴」の舞台となった時代の日本人の履物と言えば草履か下駄。そんな時代に赤という人目を履く色の靴を履いていた少女は,さぞかし人の眼にとまったことだろう。


この銅像から目を上げると,横浜に本店を持つ「崎陽軒」のキオスクが目に入る。中華街もすぐそばの横浜駅では欠かせないお弁当屋の一つだ。風向きによってはシウマイの美味しい香りが漂ってくることもある。


崎陽軒は横浜でも古い店の一つで、開業した1908年の当初は桜木町でキオスクを営み、牛乳やジュース,お寿司などを販売していたそうだ。1915年にお弁当の販売を開始し,1928年にシウマイがメニューに現れる。シウマイ弁当は現在でもポピュラーなもので、新幹線や東海道線など長距離移動する列車の中で食べている人を見かけるお弁当の一つだ。


横浜駅のもう一つのシンボルはカモメだ。神奈川県のシンボルであるカモメは,神奈川県のホームページによると,「国際的になじみがあり、日本の海の玄関「横浜港」を持つ神奈川県にふさわしく一般に親しまれていることなどが選ばれた理由」とのこと。

横浜駅から東口にある地下街のショッピング街ポルタの入り口には大きな美しいステンドグラスがあり,カモメをモチーフにした見ごたえのあるステンドグラスになっている。


カモメのステンドグラス

またポルタの天井にもカモメのレリーフが飾られ,海の玄関口横浜ならではの装飾が施されている。


ポルタ地下街のカモメのレリーフ

ポルタとは反対に,駅の西口を地下から上がって道を行くと,{MORE’S}のビルの前に横浜らしい銅像が立っている。「マドロス少年」と呼ばれるこの銅像,往時に港を闊歩していた船員達を思い起こさせる愛らしい銅像だ。ポケットに手を突っ込み,パイプをくわえた不敵なこの少年の像は比較的小さく、少し急いで歩いていると見過ごしてしまうかもしれない。


マドロス少年

この日は横浜駅から移動して馬車道に行った。

馬車道は横浜が開港した当時に海外から来た商人たちが住居や店舗として使っていた建物を再現したビルがいくつか残っている。老舗レストラン「馬車道十番館」などはその典型だろう。


赤レンガのどっしりした建物の前には,昔牛や馬の水飲み場として使っていた「牛馬飲水」というタイルで出来たどっしりとした水飲み場が設置されている。



建物の入り口には時代を感じさせるランプの装飾が施されている。
この建物が実際に使われていた当時もやはりこのような玄関灯があったのだろうか。時代は明治の頃。当時の商人たちが自国の建物を出来るだけ再現しようとしていた努力がうかがわれる。


馬車道十番館の玄関灯


この日は友人に連れて行ってもらい,馬車道十番館で食事をした。久しぶりの外食だったが,コロナが明けてまだ日にちも経っていなかった当時はまだ客足も多くなく,落ち着いた雰囲気の中ゆっくり食事をとることが出来た。



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