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創作のきっかけともたらしてくれたもの

はじめに

文章を書き始めてから1ヶ月が経ちました。
今日までの心を記録として遺しておこうと思います。


きっかけは余裕から生まれる

親元を離れて早1年。
あんなに苦手だった家事にも慣れ、睡眠時間は過去最高の平均7.7時間を記録。基本的な生活はどうにかこなせるようになりました。

そうなると、時間が余った。
暇になったのです。
私はこの持て余した時間をどう使うか、考えていました。本を読もうか、趣味を始めるか。

考えているうちに、問いが生まれてきた。

「私とは」

ご飯を食べている時も、お風呂に入っている時も、音楽を聴いている時も。あげくは、眠るためにベッドに入った時でさえ。
じっとこちらを見ているのです。

その視線は私に、答えを要求してきます。
「今、何を考えているのか」
「何を好ましいと思っているのか」
「何を遠ざけたいと考えているのか」

初めは、ぼんやりと頭の中で答えていましたが、どうせ暇ならばと 言葉として書き出すようになりました。

いざ

準備と壁

近所の百均で400字詰めの原稿用紙を購入し、uniのボールペンを手に入れ、準備は万端。
もうどこからでもかかってこい。
そう意気込むまではよかったが、いざ書き出すとなると、これがなかなか難しい。

そもそも、文章とは何か。
どこから書き始めればいいのか。
正解はあるのか。
全くわからなかったので、本を購入しました。
オバマ大統領の自伝「約束の地(上)」です。

いつも傍にありました


その本を選んだことに特別な理由はありません。ただ、馴染みのある名前を古本屋で見つけ、表紙もいい感じだった。
そんな些細な理由が、転機を生んだのです。

1冊の本がもたらした転機

古本屋から帰ってきた翌日。
私は 表紙に印刷されたオバマ大統領の輝かんばかりの笑顔を数分見つめた後、その本を読み始めました。

「約束の地」
私はこの本を読みながら、彼の言葉に何度も胸を打たれました。そして、心に残った文や読み返したい言葉を いつも持ち歩いているメモに書き写しては読み、写しては読み。
当時はいつでも読み返せるようにやっていた行動ですが、思い返せば、この書き写す作業こそが「書くこと」に対する抵抗を減らすきっかけになったのかもしれない。そう思ったりもします。

さて、そうこうしているうちに一週間。
私の中で、言葉がまとまり始めました。
あんなにバラバラで収拾のつかなかった言葉たちが途端に整列し始めたのです。それから書くことに対する不安は消え、私の右手は紙の上でゆっくりと、動き始めました。

書けるって楽しい

頭の中で言葉がまとまっていく、という体験をして以来、私の書くことに対する不安は無くなっていました。
とはいえ、なかなか うまくはいかないものです。
初めて書いた文章は ただ格好つけただけの、自分が理解できていない単語を堂々と使っているような、とても見返したいとは思えないような文章でした。

しかし、本とペンの間を行ったり来たりするうちに、少しずつ自分の書きたい言葉を理解できるようになってきて。それからは文章を書くことが楽しくなり、身近な存在になりました。

嬉しい出来事があれば、ニコニコしながら紙の前に座り、悲しい出来事があれば鼻を垂らしながら原稿用紙を汚していきました。

2回目の壁と原動力

購入した原稿用紙が尽き、新しいものを部屋に迎え入れた頃。ついに己の弱さに直面しました。
その弱さというのは、怠惰と自分の欠陥でした。
言葉を考えながら書くことが面倒になる。その一方で、正直に綴るごとに浮きぼりになる己の至らなさに苦しむ。自分の言語能力の乏しさ、器量のなさがどんどん見え始める。
書くことが苦痛だった、というよりも、目を逸らし続けた己の姿に向き合うことが苦しくなってきたのです。

しかし、やめることはありませんでした。
矛盾するようですが、この葛藤の中で 自分の姿を捉えようとした時、私の中には今までに味わったことのない 平穏がありました。
その感情的なものが、私の原動力でした。

マンネリ解消のために投稿

大きな原動力があったとしても、私も人間ですから飽きはくる。健康的な心地よさが 目先の快楽に負けるというのは、よくあることでしょう。ダイエットでも、恋愛でも。
しかし、その流れに沿って快楽を選択したところで後悔するのは目に見えている。

それでは ここはひとつ、新しい刺激を取り入れてみよう、ということで。

書いたもののひとつを、ここに投稿しました。


↓当時の投稿記事


マンネリ解消のためとはいえ、やはり他人からの反応は気になりました。こんなに言葉が溢れた世界で、私の文章を見てくれる人は果たしているのだろうか、と。
30分後、やや汗ばんだ手を震わせながらnoteのアプリから飛ばされた通知を確認しました。
「〇〇さんがスキしました!」

私の文章が、私1人のものではなくなった瞬間でした。

新たな楽しみ方

私が書いたものを 誰かが読んでくれているという喜びを知って以来、人に伝わるようにまとめるようになりました。
自分への問いを聞き、己を探り、文字にする。
ただ文字にするだけではいけない。正直でありながら人を傷つけないように、そして誤解させないように具体的に、それでいて読みやすいように言葉を並べていく。
難しい作業ではありましたが、その分やりがいがありました。

創作の底

noteに投稿し始めてから一週間と少し経った頃。

私は、文章を「産む」という工程を通して、精神の複雑性を知りました。
「怒り」や「悲しみ」では、説明できない、なんだかモヤモヤしていて、とっかかりのない。自分でさえわからないが故に、気味悪く感じられてしまうものが、己の中に住み、ずっと潜んでいたことを知りました。


↓当時の文章


それを教えてくれたのは、文章を産み出すという行為、つまり「創作」でした。
私はこの創作と言うものを、もっともっと積み重ねていきたい。たくさんの本を読み、映画やゲームを楽しんで、聞いたこともないような旋律の音楽に出会い、心を震わせたい。
そうして、自分をもっと深く知りたい。

おわりに

文章を「産む」という行為を通して学んだこと

私とは。

この抽象的な問いに答えがあるのか。
あったとして、生きているうちにたどり着けるのか。私には、分かりません。
しかし、それに向き合い、正直な心を己に打ちあけ続ける限り、私は物理的ではない、精神の自由。誰からも奪われることのない自由を謳歌しながら生きていけるだろう。
どんな障壁があったとしても、力強く、自分の足で生きていけるだろう。
確信と言うには、私はまだ若すぎるかもしれませんが、それに近い思いを この問答に見出しています。

親元を離れて早1年。
私は今日も生きています。
段ボール箱の上に400字詰めの原稿用紙を置き、右手にuniの黒ボールペンを持ちながら、懸命に、苦しみ、心の自由を謳歌しながら生きています。

2023.12.19
#かなえたい夢 #振り返りnote
#人生を変えた一冊


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