パソコンと私

高校卒業と同時に4月からフリーターになった。
高2からホールのバイトをしてたファミレスで、夜番専門ホールスタッフになった。
バイトは17 時から2時まで。
終電はとっくにない。
まだ車の免許を持っていなかったので、帰りは社員さんに送ってもらっていた。

とてもありがたいことなんだけど、社員さんが送り狼になってきた。

彼氏がいると知っているのにどういうことなのか。
彼氏昨日店に来てたやん。
早く免許がほしい(切実)

教習所に通いたいが寝るのが明け方なので、バイトの日も休みの日も本当に起きられない。
一学年下の彼氏が先に免許を取るという事態になった。

なんとか夏頃に免許を取り、彼氏のお父さんの会社で中古の軽を買って、自分の車で通うようになった。
深夜に田舎の道を1人で運転して帰る。
とてつもなく眠い。
家までたどり着けなくて、道中のパチンコ屋の駐車場で仮眠していた。
朝が弱いから夜番に任命されたのに夜中でも眠いとはどういうことなのか。

仮眠を終えると完全に夜が明けている。
出勤する車とすれ違う度に、私はこの先社会に適合できないのではないかと思うようになった。
時給は900円ぐらいだったと思う。

田舎から関西に出てきたのは高校を卒業した年の11月。
どうせ夜型人間になるのなら水商売をしようと思って、友達を頼ってadidasのボストンバッグ一つで出てきた。

時給は3,000円になった。

続けるうちに3,500円になり、4,000円になり…最後は5,500円になった。

6倍稼ぐようになったが6倍楽しくなったかと言われるとそうではなかった。

いつかお昼の仕事で生活できるようになりたい。

それが私の目標になった。

一緒に住んでいた友達が授かり婚をすることになり水商売をやめた。
生まれてくる子どもたちに、晴嘉はキャバ嬢だ、と認識されるのは嫌だと思った。
21歳だった。

ルームシェアから一人暮らしになった。

出費が増えるのにキャバ嬢やめるなんて無謀だったけど、やめるなら今だ。
接客しかしたことがなかったので、またホールのバイトを始めた。
2つ掛け持ちした。
時給は930円と1,010円。

それなりに楽しい。
いや違う。
こういうことじゃないんだ。

次の仕事のあてもないのに2つとも2ヶ月後に辞めると先に決めて仕事を探し始めた。
映画のマトリックスを見てパソコン使う仕事がしたい!と思っていたが、高校の授業以外でパソコンを触ったことが無かった。
知識もない。
それでも。
今だ!と思った。

全く決まらない。笑

そんな話を1,010円のバイト先でお客さんにしていたら、うちの会社に来るかい?と言われた。

一年中熱燗を飲むおっさんは人事権のある偉い人だったのだ。

やってみたいという気持ちだけで、本当に何もできないんですけどいいんですか?
と言った私に、熱燗のおっさんは、
それがいいんだよ、それでいいんだよ。
と言った。

コネだけど、大きい会社だったのでちゃんと採用試験を受けて、本社の承認を得て、契約社員になった。

念願のパソコンと共に生きる人生が始まった。

電源ポタンがどこにあるか、から教えてもらった。
キーボードをしっかり見ながら人差し指で一つずつ押した。

いつの間にかタッチタイピングが出来るようになっていた。
いつの間にか朝起きられるようになっていた。

あれから23年。
友達の子供は大学4年になった。
パソコンは私の相棒である。

お昼の仕事をすること。
パソコンを使った仕事をすること。
その仕事で得たお金だけで一人暮らしをすること。

夢は叶った。

私は今日も夢の暮らしをしている。

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