見出し画像

人間はネガティブな本能があるからこそ命を守ることができる

2ヶ月ほど前(2020/2/8)のものですが、師匠である和田裕美さんがTOKYO HEADLINEのbe-styleでインタビューをされたときの記事を見つけました。

僕は和田さんから「陽転思考」を学びました。この「陽転思考」、字面だけ見るとポジティシンキングと同じに思えます。いいことだけを見ていこう、考えていこう。悪いことを考えると引き寄せられるから考えない、見ないとの思考法です。

そう思っている人から見れば、僕のどこが「陽転」なんだ、と疑問に思われても不思議ではありません。ネガティブなことを頻繁に口にしていますから。

僕のモットーは「最悪の状況を想定する」です。新型コロナウイルスの感染拡大が起きている現状、最悪の状況はどんな状況か、これによる経済的なマイナスインパクトはどの程度か、を常に考えています。いま一番不安なのは、「自分が考えている最悪の状況は本当に『最悪』の状況なのか」です。どこかまだ、楽観しているところはないか、タカをくくっている部分はないか、自分に問いかけています。

これを他人はネガティブと呼ぶのかもしれません。もしそうだとしたら僕は「人はネガティブだから前に進める」と言ってもいいと思っています。
「陽転思考」は「陽」に「転」ずる、です。自らの意志で「転ずる」のです。暗闇の中で光を探すようなものです。和田さんのたとえに従えば「泥バケツに手を突っ込んで宝物を探す」ものです。脳天気に陽気にしているのが陽転思考ではありません。


自己肯定感の問題も同じです。日本人は自己肯定感が低い人が多いので、まずはそれを高めましょうというのはわかります。しかし、自己肯定ばかりしていては進歩も成長もない。「NO」と言えるから「NEXT」があります。自己批判をしていかないと成長を見せらなれません。批判は無意味だとかまずは肯定から入れと言う人は、進化を放棄しているのだと思います。

さらに日本では困ることがあります。最悪の事態を想定して「○○な状況になったらどうするか」と問うと、「○○な状況になることを願っている」と決めつけてくる人がいることです。言霊主義が悪い方に出る典型です。あくませ「仮説」を立てているだけなのに、「仮説=願い事」と受け取る人は、枚挙に暇がありません。

ということで? 僕にとっての陽転思考は、最悪のことを想定するところから始まることが多いのです。想定される最悪の中に「よかった」はないのか。想定よりもマシで「よかった」、最悪を想定していたからなんとか対処できて「よかった」、などが僕にとっての「陽転思考」なのです。人間にはネガティブな本能があります、きっと。普通に、悪いことを考える。だからこそ、その悪いことが起きないように、起きてしまっても対処ができるようにしておくことが大事だと思っています。

いままさに、パンデミックの中にいます。無理に最初から明るく振る舞う必要はありません。根拠なき陽気さは、時に役立ちますが、多くの場合、破滅を呼びます。現在置かれている、日々の鬱然たる状況、出口の不確実さの中から希望を見つける。それが僕にとっての「陽転思考」なのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?