時間停止ものAVとバーチャルYouTuber百合のリアリティ――郡道美玲の配信を手がかりに


要約

本記事はまず、バーチャルライバーグループ「にじさんじ」に所属している郡道美玲というバーチャルYouTuberの配信で行われたやりとりを元に、時間停止ものAVとVTuberの百合営業をめぐる「リアリティ」について整理を行う。次いで、VTuberの百合のリアリティというこのテーマを考えるに際し、まさしく郡道美玲こそが重要な事例であることを論じる。


事の顛末

バーチャルライバーグループ「にじさんじ」に所属している、郡道美玲という女性教師のVTuber(※1)の配信に、あるマシュマロ(=投稿)があった(以下の動画の1:13:00~)。なお、ニコニコ動画にも本人巡回済みの切り抜き動画がある。

先生、僕は百合営業が嫌いです。
ここぞというときに見せつけるようにしてイチャイチャするのに、内心「ないわあ」とか思っていると考えると本当にがっかりするほど尊いです。
最近、キャラ立ちのためにバレバレの百合営業をするvtuberが増えてきていて、もっとやってほしい。どう思いますか?

このマシュマロに対する、郡道美玲の感想が以下の通りである。

これって、アレよね。時間停止もののAVみたいな感じよね。なんか、時間停止ボタン押すと、それまでめちゃくちゃ喘いでいた女優が、一気にしんっ……てするじゃない。ほんとはこんな声出さなくても耐えられるんだなって思うとめっちゃ面白くない?(笑) 多分それとおんなじことよね? わかるわかる。

嘘であることが見え見えの百合(女性同性愛的関係性)を、「時間よ止まれ!」シリーズに代表される時間停止ものAVに喩えるとは、言い得て妙だ。さすがは美玲先生、AVにも造詣が深い。

そう思っていたのだが、直後、郡道美玲の発言に対して、「時間停止AVは9割は偽物だからな」という旨のコメントに溢れた。

「時間停止AVの9割は偽物」とは、誰が言い始めたのか知らないが、ネット空間に昔からある言い回しである。「1割はホンモノなのかよ!」というツッコミを誘うボケでありつつ、AVというメディアを楽しむ視聴者の受容態度を一言で表した、秀逸な表現であると思う。

だが、今この場で百合営業と時間停止ものAVの類似性について解釈するときに、そのコメントは正しいのか? それは「時間停止ものAV」という言葉に脊髄反射的に発せられたものにすぎないのではないか? という疑念が生まれた。これが、私が本記事を書くに至った動機である。


時間停止ものAVと百合営業をめぐるリアリティ

郡道美玲が言っているのは、「時間停止もののAVを観ると、いつもの喘ぎ声が過剰な演技であるに過ぎないことがわかってしまう」ということであろう。
そしてこのマシュマロが言っているのは、「百合が過剰な演技であることで、それが商業戦略のために嫌々やらされているものだと感じられ、ある種の嗜虐的(被虐的)興奮を味わう」(※2)ということだろうと思う。郡道美玲とマシュマロは、適切に共感し合っているように思われる。

他方で「時間停止AVの9割は偽物」という鑑賞姿勢は、「ほとんどの百合がキャラ立ちのための作り物であるとわかっていても、眠っている1割のホンモノを信じて視聴する」というものである。これは実は、郡道美玲とマシュマロとは、真逆を向いた視聴態度である。


「時間停止AVの9割は偽物」という姿勢は、いわばすべてのAVや百合に1割のホンモノ性を見出す楽観主義だ。ほとんどのAVもVTuberの百合も演技なのかもしれない。しかしそれでも、この作品は、このカップリングだけは、ホンモノなのではないか、という可能性を信じる態度である。

楽観主義的時間停止AVとして挙げられるのは、たとえば「時間を止められる男は実在した!」シリーズであろう。「実在」という言い方には、ほとんどの時間停止ものAVにおいて能力者が不在であっても、本作だけは信じこむ想像力が前提されている。
特に、『時間を止められる男は実在した!~新能力者・藤乗丈太郎登場!片思いのアノ娘を止めて犯る!編~』は、FANZA記載のあらすじに「完全ヤラセなしのホンモノ時間停止レ●プAVドキュメント!」とある。ヤラセに決まっているのだが。


他方で郡道美玲とマシュマロの視聴態度は、すべてのAVにニセモノ性を見出す悲観主義である。

時間停止AVにおいてこの欲望を前景化させた稀有な作品として、『時間停止チャレンジ 時間をとめられる男(自称)VS超ビンカン女優』がある。本作に登場する男は時間停止能力を持つことを自称しているが、いざ撮影に臨むと時間は止められない。しかしAV撮影を成功させるために、女優は気持ちの悪い勘違い男と性交しながら時間が停止したかのような演技をすることを、監督に強制されてしまう。このことが、視聴者の性的興奮へとつながっている。

ただし本作は、本来連れてこられるはずの時間を止められる男を用意できなかった、という撮影ハプニングを設定に持ち込んでいることが肝だ。これによって、時間停止AVが女優の演技にすぎないことを欲望喚起の材料とすると同時に、「時間停止AVには1割ホンモノが存在する」というお約束を守るアクロバットを成功させている。
さらに、女優に「超ビンカン」という設定を付与することで、「喘ぎ声を我慢する」ことを、「女優は感じなければならない」というAV一般のお約束を破壊するものではなく、前向きなスリル的興奮に換えているという工夫がある。その意味で、本作は悲観主義的時間停止AVの理念型から外れているとはいえる。
つまり、本作から導き出すべき結論は、悲観主義的時間停止AVの存在ではなく、むしろ、楽観主義的時間停止AVに悲観主義的解釈が可能であるのと同様に、悲観主義的時間停止AVにも楽観主義的解釈の余地があるということかもしれない。

以上のように整理すると、バレバレの百合営業が尊い、時間停止AVが面白い、という悲観主義的態度と、1割眠るホンモノの百合や時間停止を夢見る楽観主義的態度は、コンテンツのリアリティ解釈において真逆を向いていることがわかる。しかし、二極であるとしても、それは同じ数直線上の解釈であるのだ。

本記事がここまでで示したいのは、どちらの視聴態度が優れているかということではない。同じ表象を観ても、リアリティに関して真逆の想像力を働かせることが可能であり、かつ両人とも楽しめるということの興味深さである。


郡道美玲と百合営業

以下、バーチャルYouTuberの〈中の人〉の存在に踏み込むメタ的な話になるので、苦手な方は注意していただきたい。


VTuberのキャラ立ちのための百合営業、という話題になったときに、では郡道美玲自身はどうなのか? という反省的な疑問が出てくるのは不自然なことではない(よくしつけられた郡道美玲の「子豚」=視聴者たちはそこに踏み込まないコメントをしている)。

漫画、VTuberの研究者である泉信行は、「大規模VTuberグループとグループ内グループの認知のされ方について」で、郡道美玲が、同期のにじさんじライバーである夢月ロアとのコラボ戦略を打ち出す必然性を指摘している。

65名のVTuberが所属する「にじさんじ」という巨大グループのなかで個人の認知度を高める難しさを考えたときに、有効な戦略の一つとして、グループ内グループを形成するというものがある。しかし、2018年12月13日の「にじさんじ」統合以降デビューしたライバーは、「1期生」「SEEDs」「ゲーマーズ」のような、同期をまとめた呼び名が存在せず、グループ内グループはひとりでには形成されない。
以上のような困難を抱えるとき、「運営としては箱推しよりも個人推しを大事にしたいのかな」というイメージを語っていた郡道美玲が、同期の夢月ロアと積極的にセットで売り出そうとする姿勢をもつだろうことは想像に難くない、と泉は推測している。
私は、アーカイブが削除されたこの配信を観ておらず、また、郡道美玲と夢月ロアが半同棲状態にあるという、公式サイトには書かれていない設定が当初から存在したことを不思議に思っていたため、泉の指摘は大変参考になった。

しかし、郡道美玲のこのニコイチ戦略は、「営業」色が強まり、キャラ立ちという商業的戦略性が見え見えになってしまえば、視聴者を醒めさせてしまう危険性があったはずだ。
もちろん郡道美玲の配信に寄せられたマシュマロのように、その営業臭さこそに興奮する視聴者もいるわけだが、その回路を持たないがゆえ脊髄反射的に「時間停止ものAVの9割は偽物」と真逆のコメントをする者のほうがはるかに多いことは、すでに見たとおりである。


だが郡道美玲は、クレバーな「営業」性と同時に、1割のホンモノ性も感じさせる。

たとえば、以下の配信の40:20~では、今まで付き合ってきた女性が全員巨乳であることを話題にしたのち、「言ってなかった? 私、女の子としか付き合ったことないわよ」と述べる。

また、2019年2月22日深夜のツイキャス(7:45~)では、

[視聴者から]すごい来るのよね。「営業」とか、「百合営業」みたいな、すごい来るんだけど。何言ってんだこいつら? みたいな。私としては、ふつうに、なんかご飯食べてたら『お前食事営業するな』みたいなそんなリプライが飛んできてる気分なの(笑)

と話していた。すなわち、彼女にとって女性同性愛的関係性が視聴者に感じ取られるようなコミュニケーションとは、わざわざ狙うものではなく、ごく当たり前に平凡に、生活に組み込まれたものなのだ(2019年4月8日に※4を追記)。


ロアみれ/みれロアは「営業」なのか。
もちろん、郡道美玲と夢月ロアが半同棲状態にある、というのは、純粋にフィクショナルキャラクタ(※3)の「設定」であるといってよいだろうと思う。2人の〈中の人〉=パーソンは半同棲状態にはない(もし半同棲してるなら早くオフラインコラボ観たいし)。
だが、郡道美玲の〈中の人〉=パーソンを基礎としている(ように見える)ために、郡道美玲というフィクショナルキャラクタが同性愛者あるいは両性愛者であること、さらに夢月ロアへの愛があることは、視聴者には半同棲という「設定」より強く現実味のあるものとして感覚される。

当然、「女性としか付き合ったことがない」ことさえ、パーソンの嘘、フィクショナルキャラクタにのみ付加された「設定」である余地は残されている。つまり、ヘテロセクシュアルなパーソンがキャラ立ちのために編み出した奥の手として、性的指向の対象を女性とするフィクショナルキャラクタを生みだした可能性はいつまでも捨てきれない。

だがこのように、信じることと疑うことの間に囚われていることがすでに、VTuberというコンテンツを楽しんでいることだといえるだろう。まさに「沼」にハマっている。

パーソンのペルソナがフィクショナルキャラクタのペルソナに「設定」として回収されていくという、VTuber独自の力学が生みだす現実と虚構の間の振動、あるいは現実と虚構の溶解こそ、VTuber(少なくともにじさんじ)の最大の魅力であるだろう。
VTuberのセクシュアリティとは、この特徴の上に、百合やBLという関係性の解釈ゲームにおける現実/虚構が重ね合わさるという、さらなる複雑性をもっている。

前節では、時間停止AVやVTuberの百合に代表されるコンテンツの消費者として、世の中に悲観主義者と楽観主義者が存在することを指摘した。だがもっといえば、一人の視聴者のなかに悲観主義と楽観主義が共存している場合にこそ、VTuberの百合やBL、とりわけ郡道美玲のクレバーで愛しい魅力を汲み尽くせるというべきだろう。


最近のみれロア/ロアみれの動向




尊すぎて頭おかしなるでこんなん。


注釈

※1 株式会社いちからは、にじさんじに所属するアクターのことを「バーチャルYouTuber」ではなく「バーチャルライバー」と呼んでいる。これは、配信メディアがYouTubeに限らないからであろうが、ここでは一般に浸透している言葉として「バーチャルYouTuber」略して「VTuber」という言葉も同義として用いる。

※2 仕事として嫌々ながら性愛関係を演じていることに性的興奮を覚える、というこの仕組みは私にもわかる。しかしこの興奮の回路は、あくまで究極的にだが、「喜んでAVに出る女では興奮しない」というかたちで、AV出演強要といった問題につながりうる危険性があると私は考える。嫌々行われる性行為に興奮するという「欲望」は決して否定しないし、否定すべきでないと考えるが、労働問題として「現実」の女優を苦しめる「行為」に結実することは絶対に避けなければならない。単純化して言い換えれば、レイプ、凌辱といったテーマのAVは10割がフィクションでなければならない。そのうえで、時間停止ものAVと全く同様に、「9割はニセモノ」と強がる想像力、リテラシーのもとで視聴すべきであろう。ここでも、本文で後に述べる、楽観主義と悲観主義の同居が鍵になっている。

※3 バーチャルYouTuberの「中の人」(=パーソン)と「キャラ」(=フィクショナルキャラクタ)の区別/一致が新たな視聴体験を生みだしていること、およびバーチャルYouTuberを語る際の用語の整理については、ナンバユウキ「バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン・ペルソナ・キャラクタ」参照。

※4 2019年4月8日追記
2019年4月7日の25時ごろから行われた以下の配信では、自身のセクシュアリティについて「レズっていうかバイ」、「フェムタチ」とさらに詳しく語っている(1:18:24~)。


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服部恵典

アダルトビデオ・スタディーズ

AVについての、論文未満の思いつき
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