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「自助・共助・公助」は悪くないけど、忘れてはいけない視点がある。

昨日(14日)自民党総裁選が行われ、これまで長らく官房長官を務めてきた菅義偉氏が当選しました。これまで安倍政権を支持してきた方々はホッと胸を撫で下ろし、逆に安倍政権に対して批判的なスタンスだった方々にとっては、「うげえ……」といったところでしょうか。

安倍総理の辞任が決まった直後には、「石破vs岸田」の構図で語られていた総裁選ですが、いつの間にか出馬を決めた菅さんが各派閥の支持を固めて、ひとたび有力候補に躍り出ると、これまで“石破推し”だったはずの世論も一気に“菅推し”に変わるなど、いかに世論というものがいい加減で信用に足らないものであるかを実感させられる事態にもなりました。

それも「パンケーキ好きの甘党」だとか「叩き上げの苦労人」といったイメージ戦略が功を奏した結果であり、特に政策論争において評価が上がったわけでもなさそうだという点が、私たち世論というものの脆弱性を表しているように思えてなりません。とはいえ、そうした脆弱な世論で勝負が決していく世界でもあるようなので、野党のみなさんも今日から元気にパンケーキを頬張ってはいかがでしょうか。

そんなわけで、私たち国民にとっては「いつの間にか勝敗が決していた」感の否めない今回の総裁選ですが、それでも候補者討論会が行われたり、そこで政策論争が行われたりもしていました。そこでSNSで多少の盛り上がりを見せていたのが、菅候補が掲げていた「自助・共助・公助」という理念についての賛否。

この理念について、菅氏はこのように語っていました。

「自分でできることは基本的には自分でやる、自分ができなくなったら家族とかあるいは地域で協力してもらう、それできなかったら必ず国が守ってくれる。そういう信頼をされる国、そうした国づくりというものを進めていきたい」

これに噛みついたのが、立憲民主党・枝野幸男代表でした。

「政治家が自助と言ってはいけない。責任放棄だ」
「自助や共助ではどうにもならない時が人生にはある。政治の役割は公助だ。私たちとは明確に政治姿勢が違う」

と厳しい言葉を並べて批判していましたが、なんと2005年の国会で枝野氏自身がこのような発言をしていたことが発掘され、見事に“ブーメラン枝野”の称号をGETしてしまうという事態を招いていたりします。

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まあ、15年もの年月が経てば、人の考え方は変わるものだと思うので、「なぜ考えが変わったのか」という部分への説明責任が果たされれば、そこまで責められることでもないように思いますけどね、個人的には。

さて、いよいよ本題です。この「自助・共助・公助」という考え方。そこまで批判すべき理念なのでしょうか。それとも無批判に受け入れられるべき考え方なのでしょうか。みなさんと一緒に考えていきたいと思います。

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