見出し画像

「区別であって、差別ではない」という主張には、どこまで正当性があるのか。

AIプラットフォームの開発を行う株式会社Daisyの代表取締役・大澤昇平氏のツイートが物議を醸しています。

この大澤さんという方が、ベンチャー企業の社長というだけでなく、「東大最年少准教授」を名乗っていたりするものだから、「東大はこの発言を容認するのか」といった批判が相次ぎ、延焼が広がっているという状況です。

※ちなみに東大は、大澤氏の発言に対してこのような声明を出しています。

スクリーンショット 2019-11-28 午後3.25.39

これらの発言に対しては、当然、ご本人のTwitterにも「差別発言だ」「許しがたいヘイトスピーチだ」といった批判が寄せられているのですが、ご本人は現時点で謝罪・撤回をする意思は見せていません。

というのも、彼は一貫して自身の発言を「AIの分析により得られた区別であり、差別ではない」と主張しているのです。

「区別」であって、「差別」ではない。


これ、とてもよく聞かれるフレーズです。こう言われると、なんとなく「ああ、そうなのか」と思わされてしまう人も多いかもしれません。実際、大澤氏のTwitterにも、「この発言は区別であって差別ではない」として、氏の発言を擁護されている方も散見されました。

そもそも、「差別」と「区別」って、どう違うのでしょうか。

スクリーンショット 2019-11-28 午後4.10.30

辞書で引くと、このような違いがあります。両者の違いとしてポイントになってくるのは、扱いに違いを設けることが「不当かどうか」。

たとえば、プールや温泉で男女の更衣室は別々に設けられています。これに異論を唱える人はほとんどいないでしょう。それは社会的に「正当な理由である」と認められているから。これは「区別」だと言えるでしょう。

ところが、男性には投票が認められているのに、女性には投票が認められていない、となればどうでしょうか。そこには正当性が認められない、つまり「不当な扱い」となるので、これは「差別」だと言えるでしょう。

では、ここで大澤氏の主張を見ていきましょう。先ほども述べたように、彼の主張は一貫して、「AIの分析によって中国人はパフォーマンスに劣ることが判明した。だから中国人は採用しない。面接もしない」というもの。

(そもそも、そのAIによる分析結果にどれほど信憑性があるのかという議論もあろうかと思いますが、ここではひとまずその分析結果を前提として議論を進めていきたいと思います。)

大澤氏の発言は、はたして差別に当たるのでしょうか。

                         ------✂------

ここから先は有料公開となります。

個別の記事を数百円ずつご購入いただくよりも、定期購読マガジン(月額1,000円)をご購読いただくほうが圧倒的にお得となります。

月の途中からご購読いただいても、当該月の記事はすべて読めるようになっているので、安心してご登録ください。

記事の更新はみなさんからのサポートに支えられています。ぜひ、この機にご登録をお願いします!

「乙武洋匡の七転び八起き」
https://note.mu/h_ototake/m/m9d2115c70116

ここから先は

1,272字

¥ 300

みなさんからサポートをいただけると、「ああ、伝わったんだな」「書いてよかったな」と、しみじみ感じます。いつも本当にありがとうございます。