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【チェルノブイリ訪問記①】 混ざり合うはずのない非日常と日常の間で。

初めての東欧旅行。ラトビアから南下を続けると、ウクライナにも滞在することになる。一日は首都のキエフ散策に充てるとして、もう一日は——やはりチェルノブイリだろうか。

1986年に世界を震撼させた原発事故から33年。調べてみると、いまでは“観光地”として観光客向けのツアーが組まれているようだった。物見遊山のようになってしまうことに抵抗がないわけではなかったが、最後は好奇心に後押しされて申し込むことにした。

手順に従って申し込みを進めていくと、終盤に「オプション」を選択させるページが出てきた。防護服(20ドル)や防護靴(10ドル)の貸し出しがあるが、これらがないと人体に影響があるのだろうか。

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問い合わせてみると、何のことはない。安全のためではなく、“写真映え”のために貸し出しているのだとか。その返答を聞いて、「はたして物見遊山のようになってしまってもいいのだろうか……」という心理的抵抗はずいぶん軽くなった。

キエフ中央駅に迎えにきてくれたのは、ガイドを務めるアレックス。22歳の青年で、この夏にガイドの仕事を始めたばかりだという。母国語であるウクライナ語のほかにも、英語、ロシア語、そしてイタリア語が話せるという。

——英語やロシア語はわかる気がするけど、どうしてイタリア語を?

「私の両親は、当時チェルノブイリ近郊に住んでいて被害を受けているんです。そうした被災者の子どもが無料で海外留学できるプログラムがあって、私は小学生の頃から一年のうち一ヶ月間だけイタリアで過ごしていたんですよ」

(ちなみに、あとで調べてみると、日本にも福島で被災した子どもたちに、一ヶ月間だけイタリアで過ごしてもらおうと活動しているNPOがあることを知った)

アレックスに案内されてまず到着したのが、キエフ市街地にあるツアー会社のオフィス。ここで今回のツアー代金を払い、放射線量計量器であるガイガーカウンターを渡される。ちょっぴり、緊張が走る。

ちなみに、オフィスにはオプションとして貸し出している防護服が飾られていた。もし申し込んでいたら、この宇宙服のようなウェアに身を包んでツアーに参加することになっていたのだろう。

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車に戻り、オフィスを離れる。しばらく市街地を走っていたが、やがてハイウェイのような道路を北に向けて快走。車窓から見える景色の緑が、次第に深くなっていく。走れども、走れども、窓から見えるのは森林ばかり。1時間ほど走ると、一面の緑にうっすらと黄色が混ざり始めた。

アレックスがガイドしてくれる。

「もともとチェルノブイリは農村地帯だったんです。でも、気候や土壌の関係から、いまひとつ生産性を上げられていなかった。そこに目をつけた当時のソビエト政府が、ここに原発をつくることを決めたんです」

オフィスを出発して2時間ほどして、ようやく第1チェックポイントに到着した。アレックスが書類を提出している間に、「おみやげでも見ててください」というので車を降りてみたが、目に飛び込んできた光景に、思わず顔を強張らせてしまった。

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