歴史、 中学校②

こんばんは。shun.です。


次回は中学校の振り返り
1年から2年までお話してきました。

今回は3年から

さっそくいきます。


3年、受験生です。

担任はまた変わって女性の先生

この先生はお話を丁寧に聞いてくれる人でした。
ちょっと変わってたけど
私にとっては恩師です。

2者面談で

「将来カフェやりたいんです」
「おばあちゃんが生きている間に
  おばあちゃんがやってたお店、また開きたいんです」

って夢物語を真剣に聞いてくれたんですよね。
アドバイスまでくれました。


後期になると受験の話ばっかり。

2年の担任に「無理でしょ」って言われた志望校
厳しくて、少し下げたんです。
すっごく悔しかったけど
どうもがいても届かなかったから

これ以上下げたら
ズルズル勉強しなくなるな
って思っていたので
新しく決めたところは変えていませんでした。

でもそこも厳しかったんです。

ずーっとC判定

1回だけB判定

この結果に親は大反対
志望校下げたら?って何度も

ずっと無視してたんですけど
ついに三者面談で先生に訴え始めちゃったんです。

私はそれさえも全部無視して笑
はよ終わらんかなぁ
勉強したいなぁ
と思っていました。

親の話が終わったあと

「shun.はどうしたいの?」

あんだけ熱弁した親を置き去りに
先生からシンプルな問いが飛んできました。

「私は変える気がありません」

「じゃあいいんじゃない?」

はい、終了。

これは私もびっくりしました。
え?そんな親無視する?
あの熱弁聞いた上で無視する?

でもとてつもなく嬉しかった

今まで親の言うことは優先的に
聞き入れられていた学校で
ひとこと言っただけなのに
やってみたら?って

無責任と思う人もいるかもしれません。
けど当時の私には味方がいる、と
心強かったんです。

そして前回の記事で

3年 今に見てろと

書いてましたが、ここからです。

もう舞台は整った
あとはがんばるだけ

休憩時間
私が無理だと言われた高校を志望してる子たちが
わちゃわちゃ

全然勉強しないじゃん
いや、学校以外でしてるのかもしれないけど

そんな人たちに負けるのか
それだけは絶対いや

私には味方がいる
先生だけじゃない

推薦入試に受かった友達が
分からない問題を教えてくれた

徹底的に質問して
とにかく問題に当たった

受験前の記憶は
ほぼ無いくらいやった

9割5分、意地


その結果

受かった

はじめて嬉しくて泣いた

あのとき信じてくれた人がいて
教えてくれた人がいたから
受かりました。

後日、担任に報告と御礼のお手紙を書きました。
するとお返事が届きました。

「本人がやると決めたなら応援する
   ガンコなら尚更」

あー私ガンコなんだ、って思いつつ
こんな素敵な先生とご縁があったことに
とても感謝しています。

折れてくれた親にも
感謝しながら
入学の日を待ち望んでいました。


ってな感じで
中学校生活終わり

長かったですね笑

弱い人の気持ちがわかるから
弱くたっていいじゃないか、と
考え方が変わり

ガンコで
負けん気の強い自分を知り

遂にJKになるんだと
なれるんだとワクワクしていた中学生時代


高校もトントン拍子にはいかないけど
また書いてみようと思います。

それでは


shun.



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