歴史、 高校①


こんにちは。shun.です。


小、中ときまして
次は高校です。

どこに需要があるかと言われればありません。

けど書きたいから書く、
それだけ


高校は学年別で分けられないんですよね。

とりあえず
ひとことでいうと

「迷子」

いちばん自信ないな笑


無事合格して入った高校

友達もすぐできました。

平凡な日々が過ぎていきます。

ほんっとになにも起こらず
6月へ突入しました。

火曜日
学校へ向けて出発した3分後、
お腹に激痛が走りました。

あれ、ちょっとおかしいな

学校よりも家の方が近いため
すぐに戻り
大事をとってその日は欠席に

ですが

いつまで経っても治らない腹痛
日に日にご飯を食べることもできなくなるほど

病院に行って告げられたのが
「ウイルス性胃腸炎」

誰もウイルス持ってないのに?
なにそれ?

とりあえず薬もらって帰って
様子を見ることになりました。

しかし、
一向に治らない

あまりにも長期化していたので
少し大きい病院で血液検査をしました。

先生に呼ばれたのは
付き添いの親を除いて私だけでした。

「検査の結果は

   異常ありませんでした。

   ウイルスも見当たりません。

   恐らく
   ストレス性です。
   心当たりはありませんか?」

親がいたら言いにくいのではないか、との
配慮のもと投げかけられた質問

全く心当たりはありませんでした。

が、
心が弱いって病気になっちゃうんだ
と、とても悲しくなったことを覚えています。

数日後、
ずっと学校に行かない、という選択肢はなく
完治はしていませんでしたが
登校することになりました。

そこで
私は
席に座っていることすら
できませんでした。

保健室に駆け込み、早退

親の顔を見ると安心して涙が止まらず
過呼吸も酷くなりました。


私のストレスは
ずっと目標だった高校、だったんです。


学校に行くことも
ご飯を食べることも
外に出ることも
部屋から出ることも
日中ベッドから起き上がることも

全部できなくなりました。

ここら辺の記憶って
ものすごく曖昧なので
書きたくても書けないんですが

今までと同じようにすると
泣いて、過呼吸になる繰り返しから
生活することができなくなっていきました。

また、なんとか力振り絞って登校した日
この日も保健室に駆け込みましたが
帰らせてはもらえませんでした。

その反動が家に帰ってからすごかった
これでもかってくらい泣いて
呼吸しにくくて

限界を感じました。

学校側からの説得もありましたが
インターホンや着信音でさえ怖くなり
まともに生活も送れない中で
「休学」という選択をしました。

これは父がしてくれた思いやりの決断です。
日に日に弱って
表情のなくなる娘を見てられなかったらしい


そしてその後、通信制高校へ「編入」をします。

一旦ここで終わろかな

ちょっと重いままなのいやだけど笑


ひとつだけ、

これを今書いている私は笑えてます。
不登校も病気も経験してよかった、と
笑顔で胸を張っていえるくらいに
元気です。

しんどくても
そのしんどさに周りを巻き込んでしまったけど
生きてます。

今どこかで
悩んでたり
苦しんでいる人がいるかもしれないけど
明けない夜はない、と
笑える日がくる、と
信じています。

明日も生きていきましょう


shun.

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