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理事長になりました

このたび、日本放送作家協会の理事長に就任しました


前期(2年前)から縁あって
日本放送作家協会の理事の仲間入りをさせてもらっていましたが、
どういうわけか今期から理事長をやることになりました。

前の記事の通り、還暦を迎えたという事もあり、
「これまでやってないことをやってみるのもいいかも」
という漠然とした思いが芽生えて来ました。
そんな時にこういう流れになり、
理由は全くわかりませんが他の方からの声もあり、
引き受ける事になりました。

だからといって、何が出来る訳ではありません。
革新的な変化がもたらされる事もないでしょう。
ただ、「理事長」と呼ばれるだけな気もします。
ややもすれば、各所から舐められる事になるかもしれません。
ただ粛々と自分なりに務めて参りたいと思います。

小さい頃から「長」の付くものを避けてきました


鮮明に記憶に残っているのは、
小学5年生くらいの頃、
何かの弾みでクラス委員長に選ばれた事がありました。
なにせ小学生なので、
大した考えもなく、その場の雰囲気の投票で何となく決まったわけですが、
まさか自分が選ばれるとは思わず、そこから憂鬱な日々が始まりました。
何が嫌かといえば、委員長の役割の一つにあった「学級会の司会」です。
週に一度特別に時間を作って、
クラス内で問題になっている事を話し合う訳ですが、
小学生の話し合いなんて乱暴そのもので、
みんながみんな自分の言いたい事を言い合うだけの時間でした。
そんな荒れた場をうまくまとめなきゃいけないわけですが、
それが苦痛で仕方なかったのです。
担任の先生に救いの手を求めようとするも、
先生はあくまでも生徒に主体性を持たせようと
傍観の立場を貫いているだけでした。
僕は、その時間がどうしても嫌で
その日が近づいてくると小学生ながら胃が痛くなったりして、
分かり安くストレスになっていました。
今思えば、そんなに大した事ではないのですが、
どうにも耐えられず、何回か目の学級会が終わった時点で
とうとう先生に委員長の辞退を申し出ました。
昭和の時代ですから、「甘えたことを言うな!」
と一喝されてもおかしくない展開でしたが、
本当に苦しんでいるように見えたのでしょう、辞退を受け入れてもらいました。

それ以来、自分の中で「長」の付く役職というのは
自分には向かないものだと決めて生きて来ました。
放送作家という仕事も、ディレクターのサブ的な役割で、
決してチームをまとめる立場ではないので、
どこか心地よく、自分には合っていたのだと心底思っています。

ところが、とうとうその「長」をやることになりました。
あんなに避けていたのに…。
と言いつつ、
いざその立場になったら、急に偉そうになるかもしれません。
最近ニュースになったN大の理事長みたいにならないように
気をつけたいと思います。

放送作家Classは今年もやります


理事長である事とは関係なく、
個人的にやっている「内村宏幸 放送作家Class」は今年もやります。
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