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わたしのお父さん

「わたしのお父さん」という作文を参観日に娘が読んでくれたのは、彼女がまだ小学校低学年の時だった。

校庭には大きな庭木が立ち並び、机やロッカーは年季の入った木製、教室の床も木製で歩くとミシミシ音を立てるような、やけに木が目立つがぬくもりというよりも年輪を重ねた歴史を感じるような校舎だった。その校舎は一昨年に建て替わり、新しい校舎で新たな歴史を重ねている。

参観日の当日、埃っぽいようなどこか懐かしいようなにおいがする教室で、娘が朗々と作文を読み上げていたことを覚えている。私の人生において、自分のことを作文に書いてもらったのは初めてのことで、その経験は今のところ他には無い。気恥ずかしくもあり、立派に作文を読む娘の姿が誇らしく、いつになく頼もしく感じた。

その娘も今年の4月で高校2年生となった。中高一貫教育の恩恵を受け、高校受験の無い比較的伸びやかな学校生活を送ってきた娘も、受験に備えて学校に残って勉強したり、塾に通ったりと忙しそうだ。

忙しいとはいえ友人と過ごす時間はしっかりと確保するので、親との外出などにしわよせがくるのは必然で顔を合わせる時間はどんどん短くなっている。これから進学や社会人になる過程でその時間は更に短くなるのだろうが、親と過ごす時間を減らしながら、娘が自分の意志で自分自身のために時間を積み重ねることが彼女の経験であり成長に繋がるのだと思う。

娘の作文の内容を思い出した。たしかこんな内容だったと記憶している。

「わたしのお父さんは魚つりが好きです。つってきた魚をりょうりしてわたしに食べさせてくれます。」

「また、お父さんは魚を食べるのもじょうずです。魚のあたままで食べてしまいます。えびはしっぽも食べてしまいます。」

教室には笑うのを我慢しているクラスメイトが数名。
あと保護者の中にもいる。

帰宅後に「子供が真似をするから海老の尻尾を食べるのはやめて。」と私を窘めた妻の努力の甲斐なく、今では娘が海老を食べた後に尻尾は残らない。

「さいごに、お父さんはメダカをそだてるのがじょうずです。たまごをとって、こどもメダカをそだてています。」

教室の誰かが発した「どれだけ魚が好きなん!」という声を合図に教室は笑い声に包まれた。聞きながら耳のあたりが熱くなったのを今でも鮮明に覚えている。怖くて妻の顔を見ることはできなかったが、娘の成長を実感できたこと、クラスメイトに喜んでもらえた娘の顔が晴れやかだったこと、先生の「素敵なお父さんですね。」という言葉が嬉しかった。

魚の話題三連発は小学校低学年としては文才を感じたが、今は国語が苦手らしい。親バカかもしれないが我が娘は文才があるのではなかろうか。

次に娘が「わたしのお父さん」という作文を書く機会があるとすれば、娘が結婚するときだろうか。少し寂しいが、その時は、また娘の作文に心を動かされることは間違いない。

娘には簡単には勝てなさそうだが、私もいつか誰かの心を動かせるような文章を書きたいと思う。


【コメント】
「思い出のあなご」と一緒に初めてTR科目で提出したレポートです。講師の方から添削していただいた箇所については復習として少しだけ修正しています。文字数制限で書けなかった箇所を追記していますが、内容は大きくかわっていませんし、元のほうが良かったりするかもしれません。

点数は「思い出のあなご」と合わせて平凡だったので、レポートの内容や文章としては参考にはならないと思います。あしからず。

工夫した点としては、ひとつは娘のことを書いているのにタイトルを「わたしのお父さん」にしたことです。読み始めのインパクトを意識してみましたが、それほどのインパクトは無くて普通だったかもしれません。

もうひとつの工夫は「思い出のあなご」と関連のある内容にしたことです。設問には「シリーズ物ではない」と書いてありましたが、敢えてシリーズ物として書いてみました。プラスにしてもマイナスにしても点数への影響は無かったと思います。

「思い出のあなご」の時と同様、読み返してみると「ただの大人の作文」ですね…

これからも精進していきたいと思います。

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