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「美しい幻想風景」を撮る要素:その3 〜「雄大さ」を広角で表現する難しさ〜

「美しい幻想風景」を撮りたくて、そのタイミングで考えたこと・気づいたことを過去に記事として整理してきたが、自戒もこめて、「雄大さ」を表現することの難しさについて述べておきたい。

なお、過去の記事は↓の通り。

そもそも「雄大さ」を表現する絵とは?

個人的に完全に盲点だったことがある。

「雄大な自然風景」は、「雄大な自然」がある場所に行って撮ればよいので、いかに素晴らしい場所に赴くかどうかだ と考えていた。

間違ってはいない。だが、それだけでは足りなかった

考えてみればよく聞く話で、スマホで撮った写真を見せた/見せられたとき「まぁちょっとこの写真じゃ"大きさは"わからないと思うけど」と言ったこと/言われたことは誰しもあるはず。まさにそれだ。

では「雄大さ」を写真で示すにはどうすればよいか?

広さを示す「物差し」をフレームに入れる

山頂から雲海を撮った風景写真をよく見るが、雲海の隙間からチラリと一本だけ木が見えるような作品がある(別に1本でなくても、それが1本の木だと認識できて、全長がわかれば良い)。

写真全体の面積と比較して、木が小さければ小さいほど、その雲海がどれほど巨大であるかがわかる。この「1本だけ見える木」が「物差し」だ。

広さを示したい対象を明確にする

「雄大さ」という言葉は少々具体性に欠ける点も注意したい。

というのも、人が「雄大な景色だ」と評するとき、要は「デカい or 広い」わけだが、「何が」デカい or 広いと感じたか が明確に言える場合と、そうでない場合があるからだ。

その「デカい or 広い」ものが「どの程度デカイか」をハッキリ1枚の絵で納得してもらうために前述の「物差し」は使われるべきで、「デカい or 広い」ものと「物差し」は画面上で隣接していなければならない

例えば、雲海の「隙間」から除く木、切り立つ巨大な崖の「麓の」木 などだ。隣り合っていなければ比べられない。中景にある木の大きさから遠景の雄大さは、こと写真においては伝わらない

近景から始まる、中景→遠景への視線移動

一概には言えないが、空間的な広さを演出する場合、視線移動が有力な手段になることは確実に言える。

悪い例として、また自分の写真を見てみる。

悪い例として何度も登場する私の撮った大正池の写真

近景の被写体は特に無く(強いて言えば水)、中景に朝靄や湖のほとりの木々、その奥は遠景の山脈がある。

私はこの写真を現像する際、朝靄に着目してほしくて、明るさや色の調整とともに、横長にトリミングした。

結果、足元の砂利(湖の手前のほとり)は削っている。なんなら視線誘導の邪魔なので、手前にちょっとあった石ころを除去してさえいる。結果として、上下に真っ二つにわかれた同じ風景となり、「反射してるー」と近景にあたる湖面を見ることはあっても、近景から奥行方向(縦方向)への視線誘導は存在しない

また、中景から遠景に一気に遠方に景色が変わっており、中景から遠景へとつながるようなリーディングラインが存在しないため、ここにも視線誘導は存在しない。

近景から中景、中景から遠景へのリーディングラインが存在していない結果として、奥行き感をあまり感じない、平坦な印象を与える写真となっている、と分析できる。

結論:広角で撮る風景写真はそもそも難易度が高い

私の写真、よくよく考えれば、写真の基本たる「構図」がなっていないことに気付かされる。

「美しさ」を表現したいがため分割構図ばかりに囚われ、根本的に伝えたいテーマを表現する構図への配慮が甘かったと言える。いや、悔しい。
(当時は、わけもわからず興奮してシャッター押すおじさんになっていた)

これでも撮影当初は朝霧とその奥の紅葉、遠景の山脈という、空と湖の間の陸地の景色以外の要素を排除するよう「余計なもの」が入り込まないよう、構図はかなり気をつけていた。24mm画角で撮影しているが、広角には余計なものも写し込んでしまうため難しいという通説も、知ってはいた。

重要なのは、やはり伝えたいテーマだ。

「余計」と判断しフレームから外してしまった手前の岩は、うまく配置すれば、実は一番伝えたいと思っていた「雄大さ」というテーマを強調してくれていたかもしれない。。。

削りすぎとか、そういう議論でなく、何より「お前は何を伝えたいか」と「それを表現するために適切なフレーミング、構図をチョイスしているか」を極めてシビアに、撮影時点で追い込まなければ、広角の風景写真で良いものは撮れない。

一方、「余計なもの」が映り込みやすいことも事実だし、オブジェクトとしてだけでなく、色も雑多になりやすく、光も気にする範囲が恐ろしく広くなる。

結論として、広角の風景写真は相当に難しいと知るべきだ。

圧倒的な絶景に赴くことは大前提とし、天候・光の入り方などの条件が満たされていること(運と場所の選定)、その中で伝えたいテーマの明確化、そのテーマをより強く表現する構図の検討、逆にそのテーマを毀損する要素の排除が必要だ。

そのテーマが「雄大さ」ともなれば、アメリカとかオーストラリアとか平坦で広大な大陸ではない起伏に富む日本で、平地からの撮影で表現するのは難しい。(空撮や山頂が多いのは、そういう背景もあるかも?空撮は流行りだから海外も多いけど。)

それら全てを、刻一刻と変化する自然を前に、手早く執り行って初めてモノにできる というわけだ。

うーーーん。

でも私が風景写真を撮りたいと思った結構大きいファクターに、「壮大さ」があるのも事実。。かといってそうやすやすと山に行けないし。。
まずはもっと狭い画角で頑張ろうかな!(T_T)

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