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写真が好きなら、それを仕事にすれば幸せじゃないか?という問い

雑記。

写真を趣味でやるか、仕事でやるか。

あまりカメラに詳しくない知人とはなすと、結構よく 「じゃあ写真の世界で働けば幸せなんじゃない?」といった趣旨の応答をもらう。

自分でも考えたりはする。
だがどうも私の場合はしっくりこなかった。

確かに、写真好きならそれを仕事にすれば良いじゃないか、というのは筋が通る。そういう人もたくさんいる。

でも、私はそこはつながらない。

結論

確かに私は写真が大好きだが、写真を撮れればなんでも楽しいわけじゃない。

写真なり撮影なりそのものを愛する人は、むしろ少数派だろう。だからだ。

写真撮影で何が楽しいか?

写真を撮るのが楽しいという人は多い。
だが、より踏み込んだ時、楽しさの根源は人それぞれじゃないかと私は考える。

私が写真撮影を楽しいと感じる理由は、「頭の中のイメージを、一番明確に具現化/表現できるから」だ。

言語化できていない。
もう少し噛み砕く。

アーティストという生き物

結論から述べてしまえば、私は「アート目線で写真を好き」で、「だから写真を使った仕事のうち、大半を占める商業写真家になっても真の意味では満たされない」と分かっていて、かつ「アーティスト一本で生計を立てる勇気は無い」し、「アーティスト活動の傍、商業写真家で食い繋ぐのは収入面/自分のスキル面でワリが悪いと判断した(ワリの良い職業に既にありついている)」から、今、写真で生計を立てる選択をしていない。

そもそも一般人にとって「写真家」と「商業写真家」の違いはわからない。私自身、比較的最近になってようやく「写真家」と名乗ることの重み、難しさを理解できたくらいだ。

さておき、「アート写真が好きだから商業写真家になっても満足できない」という一文は雑だ。ここをさらに噛み砕く。

まず大前提に、音楽家、画家、写真家、小説家、映画監督、その他、「アーティスト」と呼ばれる人種は、何のために作品を世に生み出しているか?について少し考えてみる必要があると思う。

当然理由は人それぞれだろうが、根本的には「作者の伝えたいことを、絵や音・歌や詩という手段を使って伝えている」のではなかろうか。

ここまでは「まぁそうだろう」となるはず。

では、次に下記の疑問が浮かぶ。

①「何を伝えたいのか?」
②「なぜ伝えたいと思ったのか?」
③「なぜその手段なのか?」

①は簡単。作品による。
愛だったり悲しみだったり感動だったり。

③も簡単。作者の”スキル”だ。
伝えたいことが音楽や絵など、手段の適正としてマッチしているから、という事もあろう。

だが基本は「作者がその手段を使えるかどうか」で、事実、絵画と音楽両方で表現するマルチなアーティストもいる。要は手段でしかなく、使える手は使う、というだけだ。

では②は?
なぜその作品を「世に出そうと思ったのか?」


私はこの質問に解はなく生理的なものであり、また、必ずしも全ての人が持たない特性ではないか、と仮定した。

この「自らの作品を世に出したい」という感情の強さが「アーティスト」と「そうでない人」を分つ「持って生まれた才能」とも言い換えられるだろうか。

端的に言ってアーティストとは、自らの作品を世に解き放ちたくて仕方のない人種、そういう人間なのだと私は思う。

だからきっと、この衝動めいたものは持たない人間には永遠に理解できないだろうと思うし、これが理由で伝えづらいと感じるし、実際伝わらないのではないかと推測する。

まとめると、「頭の中にイメージとして在る”伝えたいこと”を、絵や音・歌や詩というスキルに応じた手段を使って、世に解き放ちたくて仕方のない人種」をアーティストと呼ぶのではなかろうか。

商業写真家とは?

「写真家」と「商業写真家」と区分したが、何が違うか。私の「商業」写真の定義は外的な要件があるかどうか。

要件とは、目的や納期だ。

販促、広告、報道、記録といった、明確な目標があり、撮影された写真データを何らかの媒体なりデータベースに、あらかじめ定められた期限内に納品するようなものを指す。

商業写真家は、もう本当に大変そうだ。
写真が好きとか、そういうことじゃない。

すごく短いスケジュール(撮影時間)内に、数々の制約の中、しばしば恵まれない撮影環境の中で、定められた品質で求められる絵を提示しなければならない。

あらゆるテクニックを駆使して、無茶な要求を捌くまさに「職人」だ。

素直にカッコいいのだが、「憧れるか?目指したいか?」と言われれば、私はNOだ。

その他の技術職と同様に、独立しなければ一定以上の収入は望めないし、下手に(まさに私みたいな)有象無象のアマチュアが居るため、プロとして差別化が必須になる、とっても厳しい世界だ。

一般企業のイチ社員でしかないが、領域としては一応技術職の端くれなので、私にはわかる。ワリが良い訳がない。ガチの能力が必要なやつだ。

純粋に仕事としてみるなら、商業写真家をあえて選択するのはうまい選択とは言えない。

再び、私が写真を楽しいと思う理由

私が写真を楽しいと思う理由は「頭の中のイメージを、一番明確に具現化/表現できるから」なのだが、つまり、「表現する」、要は「世に解き放つ」ことそのものが快楽なのだ。

わかりにくいが、それで評価されることが目的ではない。解き放つこと自体が重要で、解き放ちたいという欲求を満たしてくれることがポイントなのだ。

当然ながら評価されることは物凄く嬉しい。そこに値がつけば、これ以上の喜びは無いかもしれないが、あくまでそれは副次的な要素に過ぎない。

写真を仕事にして、私が幸せになるとしたら

ここまで分析した結果を踏まえると、要はあくまで主軸は「私が」伝えたいことを写真で伝えることに価値を感じているのだから、それで撮った絵を売って生計を立てられれば満足ということになる。

さて。これはどんな職業か?
そう、アーティストそのものだ。
商業写真家ではない。

私はアーティストとしてなら、それを仕事にできるなら、幸せになるだろう。それ以外は、単にカメラを使った「お仕事」であって。

いうまでもないが、どんな仕事にも楽しさを見出すことは可能だ。商業写真家だろうがSEだろうが、「楽しくない」かといえばそれは違う。

私はもっと贅沢な「楽しさ」、見出す必要などないくらい明確に、それをやっている時間が待ち遠しいほどにワクワクする「楽しさ」について論じている。

カメラを使った仕事は できるかもしれない。

だが、それより圧倒的に安定的かつ割の良い「仕事」を、私はすでに持っている。だから今の職を辞して写真を撮る仕事を選択しないのだ。

まぁ宝くじ当たったら、仕事はやめて世界中カメラ持って旅したいけどね!!!

メッチャ綺麗に整理できた。

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