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ママ友との価値観のズレをどこまで許容するか

若い頃は、周囲との関わりの中で「自分」を模索しながら、アイデンティティを確立させていく。
はっきりとした価値観を持っているわけではないので、誰かと近づいたり離れたり、誰かを傷つけたり傷つけられたりしながら「大切なもの」を見つけていく。

36年と少し生きてきた中で、大切にしたいと思えるもののひとつに”親しき中の礼儀”がある。

どれだけ近しい間柄であっても、感謝の言葉は欠かさないようにしてきた。夫にも、子どもたちにも、もちろん友人たちにも。

20年来の付き合いの高校時代の友人にも、集まった日の帰りには「今日は楽しかった。ありがとう」と伝える。友人たちからも、同じように感謝の言葉が返ってくる。私の中の”親しき仲の礼儀”は、彼女たちの関わりの中で育まれたものかもしれない。

今日も私の買い物に付き合ってくれた子どもたちに、帰宅後、感謝を伝えた。

「今日はママの買い物に付き合ってくれてありがとう。おかげでとっても楽しい時間だったよ。ママは、あなたとお買い物ができてとても嬉しかったです。今日は本当にありがとう」

子どもたちは「ママ大好き!楽しかったね!」と応えてくれた。

「ありがとう」は、人の心を温かくしてくれる素敵な言葉だ。

と、考えるのは私の価値観であり、そう思わない人もいることはわかっている。

この価値観というのが、大人になってから新たに関係を築く人との間でモヤモヤを生み出す。特に、子どもを経由した所謂”ママ友”との価値観のズレをどこまで許容するかというのがキーポイントになるんじゃないかと思う。

先日、次男と同じクラスのお友達2人と、そのママさんたちがわが家に遊びにきた。2時間弱の短い時間ではあったけれど、子どもが5人集まればやはり騒がしくなるもので__。

部屋中におもちゃが散乱。
入って欲しくない部屋に入ろうとしたり、キッチンを探索したり、冷蔵庫を勝手に開けたりするのを阻止しながら、子どもたちにおやつやジュースを出し、ママさんにお茶を出したり、食べ終わったお菓子の屑を片付けたり、食べこぼしを拭いたり。

嵐のような2時間を過ごし、彼女たちが帰った後、いつもならば「今日は来てくれてありがとう」とLINEを送るところなのだが、片付けと晩御飯の準備などに追われ、すっかり忘れていた。

そのまま翌日になっても、二人のママさんからは連絡はない。怒りの感情はないが、モヤっとした。

「私なら、帰宅後すぐにお邪魔しましたとお礼のLINEを送るのにな」

そんなことを思ってしまう自分の器の小ささにも、嫌気がさす。

彼女たちが悪いのではなく、これは私の価値観の問題。
怒りをぶつけるのもおかしな話なので、こういうモヤモヤを感じたくなくて距離を置こうかと考えてしまう。

大人になってから友人を作るというのは、結構難しい。
”子ども””地域”という偶然の繋がりから、価値観の近い人、趣味の合う人と出会えるのは、奇跡なのかもしれない。

だからこそ、小さな価値観のズレぐらいは「そういう人もいるよね」と割り切って、適切な距離で付き合うことが必要なのだろう。

と、わかっているのだけれど。
シロクロはっきりさせたい気質の私にとって、曖昧で中途半端な人間関係を維持するのはかなり苦手な課題だ。

親同士がどれだけ適切な距離を保とうとしても、子どもたちは平気で乗り越えていく。子ども同士の関係を、私の価値観を振りかざして壊してしまうわけにもいかないので、やはりここはぐっと堪えるしかないのだろう。

人付き合いが苦手な私にとって、大人になってからの”ママ友”との関係は常に悩みの種となっている。
子どものことを考えずに自分勝手に振る舞えるのであれば、誰とも交流したくないというのが本音。言えないけど……。

ガチンコのコミュ障なので、あと2年と少し、これが続くのかと考えるだけで頭が痛い。

花奈

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