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特集『400年の時を超える友好の魂』

 日韓関係を改善しようとする取り組みは、実は何百年も前を生きた私たちの先祖の時代にもありました。皆さんは、歴史を通して日韓友好に大きく寄与してきた「朝鮮通信使」を知っていますか?当時の精神を受け継ぎ、現代に蘇らせようと尽力している朝鮮通信使歴史館の職員の方にお話をお聞きしました。


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日本を愛する釜山人 vol.1

趙 延株(チョ・ヨンジュ)さん

釜山文化財団文化遺産チーム

釜山にある「朝鮮通信使歴史館」に勤務。
日韓の文化交流事業の運営や、朝鮮通信使に関する
教育コンテンツの企画などを担当している。



日韓平和の象徴「朝鮮通信使」

 400年前、戦争によって断絶された日韓の国交を回復させようと、数千kmの距離を越えて朝鮮から日本までやってきた外交使節団がいました。構成員は総勢300~500名。半年以上の歳月をかけ、日本との交流を求めて海を渡ってきたこの使節団の名を、「朝鮮通信使」といいます。様々な職種の人々を集め構成された朝鮮通信使。彼らによって、日本と韓国の文化交流が急速に進んでいきました。

 

 ここで注目すべきは、朝鮮通信使が往来していた約200年もの間、両国間では戦争が起きず平和が続いたことです。これは、17~18世紀の東北アジアの安定にも大きく寄与したことになります。
 また、隣接した国家間でこれほど長い間戦争が起きなかったことは世界的に見ても非常にめずらしく、朝鮮通信使は両国間の平和を見事に成し遂げた、日韓友好の象徴であると見ることができます。

 

 

命がけの渡航、彼らの思い

 朝鮮通信使歴史館のチョ・ヨンジュさんは、当時の通信使たちの思いについてこう解説します。

「彼らが派遣された一番の目的は、日韓両国の平和を維持することでした。『自分が日韓友好に寄与している』という誇りは当然持っていたと思います。今とは違い命がけで、一年近くにも及ぶ長い航海を経て日本にたどり着いた彼らは、自分たちを温かく迎えてくれる日本人の姿にきっとすごく感激し、また癒されたことでしょう。反対に日本人の方も、こんなに苦労してまで来てくれる通信使たちに感激したのではないでしょうか。実際に会って初めて知った互いの姿に感動し、心の距離も縮まり、イメージや価値観も変わる部分があっただろうと思います」

 平和に寄与しているという誇りを原動力に、必死な思いで海の向こうの国へ渡っていった朝鮮通信使たち。彼らの活動は、日韓の人々が持つ互いに対する思いやりによって支えられていたようです。

 

 

現代に蘇る朝鮮通信使


 朝鮮通信使歴史館の管理・運営を担う、釜山文化財団文化遺産チーム。これまで何度にもわたり、釜山や対馬といった日韓各地の都市で、当時の朝鮮通信使の行列を再現する「朝鮮通信使まつり」を開催してきました。

 ここに所属するヨンジュさんは、歴史館のスペース管理や、企画事業の中でも教育プログラムの運営などを担当しています。有名な韓国史の専門家と連携し、朝鮮通信使について紹介するYouTube動画を作ったり、子ども向けに様々な教育プログラムを企画したりしています。

まさに、日韓友好の貴重な歴史を現代に伝えようと尽力する「21世紀の朝鮮通信使」です。


 「中学生の時に日本のドラマにハマり、そのおかげで学校の授業で取っていた日本語の成績が良かったんです。きっかけは歴史ではありませんでしたが、昔から日本に関心がありました。」と、当時の自分を振り返るヨンジュさん。

話を聞いてみると、ヨンジュさんの日韓友好への思いも、400年前の朝鮮通信使たちのように熱いものがありました。

「今、政治的には関係が複雑になっているけど、民間の次元では絶え間なく文化交流を続けていくべきだと思います」

 約200年も続いた朝鮮通信使の事業は、決して簡単なことではありませんでした。自分自身も力を尽くして彼らの思いを引き継いでいきたいとヨンジュさんは語ります。
 1811年、朝鮮通信使は経済的な理由から活動を終了することになりました。しかしまたこうして、21世紀に生きる人たちがその魂を蘇らせているのです。

「先祖たちが残してくれた平和の精神を絶やすことなく、活動を続けていきたいです。過去の朝鮮通信使たちが交流事業を通して両国の関係性を改善していったように、現代に生きる私たちも同じことができるはずだと信じています」

 


逆境はチャンスに


 直接会って交流することが原動力となる朝鮮通信使の事業は、今、新型コロナウイルス禍という壁に直面しています。しかし、ピンチはチャンスになるとヨンジュさんは考えています。

「私たちのチームでは、コロナ時代に合わせてオンライン事業を拡大するなど、事業方式を多様に転換してきました。たとえ日本側の仲間に会えなくても事業は止まることなく、今もずっと交流を続けています」

 歴史というと硬いイメージがありますが、若い世代でも学びやすいコンテンツを提供していきたいと語るヨンジュさん。これまでも文化遺産チームでは、日韓共同で子どもたちの美術大会をオンラインで開催するなど、様々なイベントを企画してきました。

 日韓の平和的な象徴である朝鮮通信使の価値を繋ぐのは、これからの時代を担う子どもたちです。ヨンジュさんは、彼らに歴史を伝えることが何よりも大切だと考えています。未来を引っ張っていく彼らがどんな思想を持つかによって、これからの日韓関係は大きく変わっていきます。このことをいつも意識し、子どもたちの目線に合わせた教育コンテンツを作ることに力を注いできたといいます。

 通信使が残した日韓友好の歴史について誰もが楽しく学べるよう、職員が力を合わせて運営してきた朝鮮通信使歴史館。2017年の秋、朝鮮通信使の記録物はユネスコ世界記憶遺産に日韓共同で登録されました。登録が決まったその日は、釜山文化財団の皆さんにとって、忘れられない感動的な日になったといいます。

 日韓文化交流の象徴的な場として、世界に対してその役割を果たしていくことが、朝鮮通信使歴史館のこれからの目標です。

 


大切なのは人との縁

❝人との出会いを大切に❞
ヨンジュさんはこのことをずっと意識して生きてきたといいます。

「こうして取材で会えるのも凄いことだと思いますよ。たくさんの人の中からこうして出会って、思いを共有しているのもある意味で不思議なことです。違う国の人同士が、朝鮮通信使を媒介体として出会い、因縁を持つようになりました。当時の通信使たちも同じだったと思います。こういった部分が感慨深いなと思いますね。」

 寒い時期に歴史館を訪問した私に対して、体を気遣う温かい言葉を何度もかけてくれたヨンジュさん。一つ一つの小さな出会いでも、それが国と国を繋ぐ貴重な出会いだと言って、取材にも親切に対応してくれました。

 ヨンジュさんはインタビューの冒頭で、「出会わなければ何も知ることはできません。出会うことで誤解が溶けて心を通わせることができます」と仰っていました。今後も、朝鮮通信使の事業を通して日韓両国の人々がさらに出会いを広げ、ますます友好が深まることが期待されています。

 

 

ヨンジュさんから日本の皆さんへメッセージ

「昨年、日韓の各分野の専門家を招き、朝鮮通信使を通してこれから日韓関係をどう改善していくかを話し合う『日韓オン・オフライントークコンサート』を開催しました。直接会ったわけではありませんが、離れていても同じ題材について一緒に頭を悩ませ、思いを共有する中で、『会いたい』という思いがあふれました。日本の皆さん、コロナが終わったら絶対また会いましょう!画面上で会うだけでもとても感動しました。直接会えたら、その感動がきっと倍になるはず。また早くお会いできるのを楽しみにしています」



朝鮮通信使について

 16世紀末、豊臣秀吉が中国の明征服を目指し、朝鮮に兵を出して起きた「文禄・慶長の役」(韓国語では「壬辰・丁酉倭乱」)。当時、日本と朝鮮の国交はこれにより断絶されました。しかし秀吉の死後、徳川家康が将軍となり朝鮮との国交回復を図ります。ここで日本へ派遣されたのが、朝鮮の外交使節団である「朝鮮通信使」でした。

 彼らは1607~1811年の約200年間で、日本に12回派遣されています。構成員は300~500名にも及び、幕府の祝い事や将軍の継承があるたびに日本を訪問しました。国書の交換や多様な文化交流活動を行い、日韓友好に大きく寄与しました。出発地は現在のソウルに位置する漢陽。最終目的地である江戸に到着するまで、往復4500kmの道のりを半年~1年かけて移動しました。

 構成員の職種は様々。使節団の責任者として選ばれる正使・副使・従事官の三使を中心に、医師、楽隊、料理人、馬術氏、画家なども派遣され、多様な分野で日韓の文化交流が行われました。朝鮮通信使歴史館にも、韓国人と日本人の絵師による作品や書物が多く展示されています。


あとがき

 命を懸けて日本まで来てくれた通信使たち。それだけ日本のことを重要に思ってくれていた証拠だと私は思います。400年前から変わらない「お隣の国」という関係性。今は、「近いけど遠い国」と言われてしまうこともありますが、日本と韓国は今までもこれからも、切っても切れない関係にあり続けるのだということを感じた取材でした。

 朝鮮通信使たちのことを調べながら私が特に感じたのは、人の本質は時がたっても変わらないということです。生きていた時代や環境は違えど、相手を思いやり、互いに繋がり合おうとする気持ちは、いつの時代の人にも共通しているのだと感じました。

 また、通信使の精神を受け継ごうとするヨンジュさんの思いを聞いて、当時を生きた人はもういないけど、その精神は数百年経った今も色褪せることがなく、時を越えて心で通じ合えるということの素晴らしさを感じました。

 私も今こうして取材し記事を書いていますが、目に見えない韓国人の想いや魂をこれからもっと多くの人に伝えていきながら、それが誰かの心に少しでも響き、彼らに対する理解を深める手助けができたらいいなと思います。

—エディター:RK

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