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取材は盛りあがらなくてもいいという話。



まだ取材の仕事をはじめてから数年目のこと。わたしは取材が盛りあがらないことに悩んでいた。その日も、「相手があまりたのしくなさそうだったなあ…いまいち会話が弾まなかったなあ…」と、ひとり反省会を開催していた。

取材が…!盛りあがりません…!とこぼすわたしに、たまたまその取材に同席してくれていた先輩が、こんなことを言ってくれた。

「今日の取材、よかったよ。聞くこと聞けてたから何も問題ないよ。別に、取材って盛りあがらなくてもいいとわたしは思ってる

これは衝撃だった。そうか、取材って盛りあがらなくてもいいのか…!わたしはずっと、取材や会話は盛りあがるのが正解だと信じ込んでいた。だから、相手が多くを語らないタイプの方だったり、表情を変えずに淡々と話すタイプの方だったりすると、質問を投げかけながら(やばい盛りあがってない。たのしそうじゃない。まずい…)とひとり焦りだして、過剰なサービス精神から、誰にも求められていないしょうもない自虐ネタを言ってだだすべりしてますます凹む…みたいなことを繰り返していた。この日もそうだった。

わたしは取材の成功を、その場が盛りあがることだと勘違いしていたのだ。先輩のひと言で、取材の目的は場が盛りあがることではなく、いい原稿を書くために必要な話を聞きだして、深めていくことだと気づいた。相手は「盛りあがりたい」と思っていない場合もある。世の中、わたしのように「コミュニケーションは笑顔でたのしく!」という人ばかりではない。たのしいときに、「めっちゃたのしいです!」と言う人ばかりではない。必要なことをサクッと語りたい人も、表情を変えずに話す方が心地よい人もいる。そういう方が相手の場合は、無理に場をわいわいと盛りあげる必要もない。焦らず、相手に合ったコミュニケーションを、取材をしていけばよかったんだ。

夫にも言われたことがあるが、そもそもわたしがちょっとオーバーすぎるのである。すぐ「最高!」「めっちゃうれしい!」「今まで食べた中でいちばんおいしい!」「すっごくたのしかった!」なんて言ってしまう。だから、人のリアクションがちょっと薄いと、「この人はあんまりたのしくなかったってことなのかなあ…」と勝手に想像して凹んでしまう。その人は心の中でにまにましながら(たのしかったなあ…)と静かに噛みしめているかもしれないのに。自分のバロメーターで、人をはかろうとしてはいけないね

そういえばすこし前、夫とふたりで中古マンションを見に行った。担当営業さんの話を、相槌やリアクションをしまくって前のめりで聞いたわたしに対し、夫は表情ひとつ変えずに聞いていた。なのに、帰り道。「まあ、ありかな」という温度感だったわたしに対し、夫はすっかりその気になっていた。営業さんには、乗り気な奥さんと慎重な旦那さんに映っただろうなあ。人の心の中は、わからないものである。


おわり

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